社長エッセイ

社長の日曜日 vol.68 二百十日 2024.09.04 社長エッセイ by 須毛原勲

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 日本には、「二百十日」や「二百二十日」という暦の雑節があり、それらは立春の日から何日目かということなのだが、農家や漁業を営む人たちの天敵である台風や暴風雨が多く襲来する時期であることから「三大厄日」のひとつとされているそうだ。

 今年の二百十日は8月31日で、まさにその日に台風10号が日本を襲った。台風は29日に鹿児島県に上陸し、九州を縦断して瀬戸内海を経由し、四国を通過して太平洋へと抜けた。進路を頻繁に変えながら非常に遅いスピードで移動し、長期間にわたり影響を与えた。東海道新幹線も三島駅から名古屋駅間が3日間連続で運休となった。初めてのことらしい。

 我が家の周辺でも、雨は突然降ったり止んだりを繰り返していた。雨の切れ間に公園へ散歩に出かけた際、突然の土砂降りに遭遇した。すぐに戻るつもりで傘も持たずに出かけたため、やむなく木陰で雨宿りをすることに。ちょうど雨の切れ間を狙って散歩に来ていたのであろうシェットランド・シープドッグと出会い、一緒に雨宿りをした。

 台風一過の朝、空気は澄み、空には美しい巻雲が広がっていた。頬に当たる風に、秋が少し近づいたのを感じた。

 春から、ある中国企業の日本でのエンタテインメント事業の立上げにずっと関わっている。先週末は、配信予定の動画の日本語字幕の確認作業に忙殺されていた。約2時間半の作品の字幕は約5,000行。たかが2時間半の作品、中国の翻訳会社が下訳をした翻訳を当社のスタッフが既に確認を終えて、その最終稿のチェックをするだけなので、まあせいぜい1、2時間くらいでできるかと思っていたら、甘すぎた。結局、土日が潰れるほどの予想以上に大変な作業だった。

 このプロジェクト開始以来、中国語の映画や動画を見て台詞を聞きながら、台詞と字幕との違いというものをなんとなく理解しようとしていたが、実際の字幕翻訳作業はそんな「にわか勉強」でなんとかなる作業ではなかった。

 字幕翻訳家と言えば、多くの人が知っているのは戸田奈津子さんだろう。戸田奈津子さんは、日本を代表する映画字幕翻訳家で、特にハリウッド映画の日本語字幕を多く手がけてきたことで知られている。彼女のキャリアは50年以上にわたり、数々の名作映画の字幕を担当してきた。英語力だけでなく、映画のニュアンスや登場人物の感情を的確に伝える力が評価されている。

 戸田さんが考える字幕作成の肝は、「限られた文字数で、登場人物の感情や映画の雰囲気をどれだけ正確に伝えられるか」という点にある。字幕には制限があり、元のセリフをそのまま翻訳するのではなく、意味や感情を重視して日本語に落とし込む工夫が求められると彼女は述べていた。

 まさにおっしゃる通り。戸田奈津子さんをはじめ、字幕翻訳家という方々がいかに優れた技術や感性を駆使されているのかを改めて知る羽目になった。

 今回の作業で、改めて日本語と中国語の違いに気づいた。

 例えば、人称代名詞で、日本語には「俺」「僕」「私」「あたし」などたくさんのバリエーションがあるが、中国語にはこうした違いが無いし、「あなた」「おまえ」「あんた」「きみ」などの違いも中国語には無いことや、日本語ではしばしば主語が省略されるが中国語では省略されることはほとんど無いことなど。また、そもそも中国語と日本語では文章の語順が違う。(中国語は英語の語順に近い。)そういった文法上の違いの他にも、目上・目下への言い方の違いや男性言葉・女性言葉の違い、若者言葉など、翻訳で気を配らなくてはならないポイントは多岐に亘っている。

 中でも、中国語の故事成句は難所だ。中国語では普通の会話に故事成語が出てくることがある。字幕という限られたスペースで故事成句の背景を説明するわけにも行かないので、前後の脈絡からその意味合いを伝える日本語を探すことになる。

「生米煮成熟饭呐」(Shēng mǐ zhǔ chéngshú fàn nà)

直訳では「生米を炊いてご飯にする」だが、これは比喩表現であり、「既成事実を作る」「物事が決定的で後戻りできない状態になる」という意味を持つ。

今回採用された字幕は「あれよ」である。

「瘦死的骆驼比马大」(Shòu sǐ de luòtuó bǐ mǎ dà)

直訳では「痩せたラクダでも馬より大きい」。この成語は、たとえ困難に直面しても、もともと優れているものや大きなものは、依然として他よりも強いことを意味する。具体的には、資源や実力のある人や企業が、困難な状況でも影響力や規模で他者を上回ることを表現する。

今回採用された字幕は「馬鹿にしないでね」である。

「鸠占鹊巢」(jiū zhàn què cháo)

直訳では「鳩がカササギの巣を占領する」。他人の物や成果を不当に奪い取って自分のものにすることを意味する。この成語は、不正や強奪を指摘する際に批判的に使われる。

今回採用された字幕は「こいつじゃないんだよ」である。

「五十步笑百步」(wǔ shí bù xiào bǎi bù)は

「五十歩百歩」という日本語表現と同様で、ほとんど同じ程度の欠点を持つ者同士が相手を批判する愚かさを表す。英語の「The pot calling the kettle black」に相当する。

今回採用された字幕は「め●そ、は●●そ」である。

 今回私が翻訳チェックをした動画はラブコメ的な作品。主役の男優はイケメン、女優も美しく、脇を固める俳優陣も演技が見事であった。ストーリー展開はワクワク感に溢れ、カット割りも非常に効果的で、総合的に非常に楽しめる作品であった。

 私は中国に長く滞在していたため、中国語の表現に「そうそう、こう言うよな」と懐かしさを感じる一方で、細かいニュアンスがどれだけ日本の視聴者に伝わるか不安も覚えた。恋愛という普遍的なテーマではあるものの、男女の微妙な感情を伝えるためには、字幕表現が果たす役割は大きいことを改めて実感した。

 ちなみに、この作業に当たってもらっている当社の若いスタッフからは、「今どきの日本の若者言葉」を学んでいる。中国語の字幕翻訳作業を通じて、中国文化と日本文化の違いを再認識し、日本語の現在を学ぶ貴重な機会となった。

9月4日

by 須毛原勲

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