リアル中国生活!ミキの上海通信

vol.16  上海の古き建築物たち   2025.03.14 リアル中国生活!ミキの上海通信 by Miki

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   上海はよく「海派(ハイパイ)都市」と呼ばれます。開放的で包容力があり、「海納百川(あらゆるものを受け入れる)」精神を持つこの都市は、開港(※1开埠)により、いち早く西洋文化を取り入れ、伝統文化との融合の中で深い歴史的足跡を残してきました。


新旧上海の絵葉書-外灘

   外灘(バンド)の建築群は、まさに、そうした歴史の痕跡を体現する存在です。

   19世紀末から20世紀初頭の上海は、新興の商業・貿易の中心として栄え、「極東最大の都市」と呼ばれていました。西洋各国の銀行や商会が次々と進出し、競って黄浦江の河畔に拠点を構えました。当時世界トップクラスの設計・建設会社が手掛けた荘厳な建築が立ち並び、東洋における商業帝国の礎を築きました。

   黄浦江西岸に広がる約4キロに及ぶこの建築群には、全部で52棟の建物が立ち並んでいます。ゴシック様式、バロック様式、ローマ様式など多様な建築様式が混在し、それぞれが独特の古典的趣きと芸術性を放っています。

   かつて西洋金融の中心地であったこの建築群は、現在でも一部が銀行の本部として利用されており、外灘金融街として重要な役割を果たしています。また一部はアートギャラリーや高級レストランとして市民に開放されています。

   中山东一路(中山東一路)に沿って北へ進むと、外灘1号、2号、3号…と番号で呼ばれる建物が続きます。例えば外灘12号は1873年、香港上海銀行(HSBC)がパーマー&ターナー設計事務所(※2公和洋行)に依頼した英国ルネサンス様式の建築です。「スエズ運河から極東ベーリング海峡までで最も豪華な建物」と称賛され、八角形のエントランスホールにはヴェネチアン・モザイクで彩られた天井画が輝いています。上海市人民政府の庁舎として使用された時期を経て、現在は上海浦東発展銀行の本店が入居しています。

   また、外灘1号は1916年にイギリス人商人のジョージ・マクベイン(George McBain)が投資して建設した建物で、設計はマーハー洋行(※3马海洋行)によるものです。バロック様式とイオニア式の柱を融合した建築スタイルが特徴です。1917年にはシェル石油傘下の亜細亜火油公司がこの建物を買い取り、「亜細亜ビル」と名付けました。その後、中国太平洋保険公司の本社として使われていましたが、現在はアートセンターとして、様々な展覧会を開催する文化発信の場となっています。

   さらに、名高い(※4闻名遐迩)「和平飯店」(ピースホテル)もあります。このホテルは1929年にイギリス籍ユダヤ人のエリアス・ヴィクター・サッスーン(Elias Victor Sassoon)が建てたもので、かつて外灘で最も高い建物でした。美しいブロンズの透かし彫りのシャンデリアや、緑色の銅製三角屋根の優美さだけでなく、多くの歴史的な出来事の証人となったことが、このホテルを有名にした理由でもあります。専門のガイドに導かれて回転扉をくぐり、アーチ型の廊下を歩きながら、このホテルで起きた歴史の物語に耳を傾けることもできます。

   和平飯店にはもう一つ、「シニア・ジャズバンド」という有名な楽団があります。メンバーの平均年齢は75歳を超え、特に1930年代や40年代に流行したジャズの名曲の演奏を得意としています。創設者は、1940年代の上海で一世を風靡した「パラマウントダンスホール(百楽門)」で演奏していたジャズバンドの元メンバーです。彼らが奏でる『夜来香(イエライシャン)』の調べが今も余韻を残し(※5余音缭绕)、訪れる人々の記憶に深く刻まれます。

   これらの建物の間をゆったりと歩いていると、オフホワイト、レンガ色、グレーなどの壁が目に入ります。一つ一つの厚く粗削りなレンガが、かつての上海の繁栄を積み重ねています。それらは往年の歴史を記録し、数えきれないほど多くの人々の記憶を静かに受け止めているのです。

   もし外灘の建築群が新旧上海の絵葉書だとすれば、その華やかさは小さな漁村が国際的な大都市へと変貌を遂げた歴史の移り変わりを鮮やかに映し出しています。


プラタナス茂る緑豊かなエリアの老洋房

   それと同じ時代に建てられた、もう一つの建築群があります。市内中心部に点在する、二階建て以上の独立した洋風庭園式住宅(老洋房)です。これらの洋館は優雅で控えめに、上海のプラタナスが茂る緑豊かなエリアにひっそりと佇んでいます。やわらかな陽光が注ぐ中、それぞれの建物にはひとつひとつ異なる物語があります。上海の街を歩いていると、あなたも知らず知らずのうちに、そんな洋館たちと出会うかもしれません。

   その中の一つは、爽やかなミントグリーンの外壁から、「緑の家(グリーンハウス)」という愛称で親しまれています。この建物は、当時「顔料王」と呼ばれた上海の実業家・呉同文の投資のもと、ハンガリー出身の著名な建築家ラースロー・フデック(Laszlo Hudec)によって1938年に設計・建築されました。この建物は、伝統的な凝った装飾ではなく、シンプルで品の良いデザインを採用しており、四角い造形ではなく、穏やかな曲線が美しい印象を与えています。また、当時の上海で初めてエレベーターが設置された個人住宅でもあり、80年以上経った現在でもそのエレベーターは正常に使用されています。現在、この美しい建物はオフィスや各種イベント・展示会の会場として利用されています。


約100年前の名建築―馬勒別荘(マーラー・ビラ)

    高架道路の沿線にもひときわ輝く建物があり、行き交う人々の視線を集めています。それが1927年にイギリス籍ユダヤ人エリック・マーラー(Eric Moller)が所有した「マーラー邸「馬勒別荘(マーラー・ビラ)」です。マーラー氏は英国から上海へやってきた実業家で、上海で「マーラー機械製造工場」を創業しました。

   言い伝えによれば、この邸宅のデザインはマーラー氏の娘が夢で見たお城をイメージしたとされ、内部の装飾は船室の造りを模しています。外観には灯台や宝瓶、ハート型などの木製彫刻が施され、まるで童話の世界に迷い込んだかのようなロマンティックな雰囲気を漂わせています。

   邸宅の敷地面積は約5000平方メートル、庭園は約2000平方メートルで、全体で6棟、106もの部屋を持っています。尖った高い屋根が特徴的な北欧風の建物で、完成までに9年もの歳月がかかりました。その後、戦争などの影響により幾度も所有者が変わりましたが、現在では一般向けの高級ホテルとレストランとして営業しています。

   かつてここに住んでいた人々は、窓を開ければ緑が目に入り、花の香りが部屋に漂っていたことでしょう。玄関の前には広々とした芝生があり、屋外用のテーブルと椅子、そして子どもたちが遊ぶブランコがありました。

   現在、見学が可能な洋館の扉をそっと開けてみると、美しい彫刻が施された木製の階段、黒い格子窓、琺瑯(ホーロー)タイルで作られた暖炉が目に入ります。中庭のキンモクセイはすでに数十年の時を経ており、その芳醇な香りが漂ってくると、まるで往時の華やかな時代にタイムスリップしたような気分になります。


洋館が持つ重厚な歴史の魅力とその価値

   これらの古い洋館は現在5,000棟ほど残っていますが、その90%以上が国の所有となっています。残りの売買可能な物件は、1平方メートルあたり数十万元から数百万元(日本円で数百万円~数千万円)という価格帯で取引されています。

   例えば、2021年には華山路のある洋館が、1平方メートルあたり75万元(約1,500万円)で取引されました。また、2024年には別の洋館が総額3.1億元(約62億円)で取引され、1平方メートルあたりの単価は100.9万元(約2,000万円)にも達しました。このように、古い洋館の価格は年々上昇していますが、関心を持つ人々は後を絶ちません。

   多くの買い手が注目しているのは、希少性がもたらす資産価値だけでなく、洋館が持つ重厚な歴史の魅力です。物語を持つ古い家屋が、それを大切にする情熱のある人々へと受け継がれていくことこそ、長い年月を経た洋館にふさわしい姿なのかもしれません。

   外灘の建築群とプラタナスの木陰に佇む古い洋館は、どちらも上海の発展に欠かせない存在です。一方は華やかで壮麗、もう一方は繊細で優雅、それぞれが上海の激動の歴史を見守ってきました。

   これらの建物は歴史の中に埋もれることなく、丁寧な保護と修復を受けています。一部の空間は人々が触れ合える場として開放され、上海の歴史的記憶をとどめながらも新たな活力を生み出し、時を経るごとに一層輝きを増しているのです。(※6 雕梁画栋)

〈気になる中国語〉

1.开埠 (kāi bù)

意味:「埠」は外国と通商を行う都市。「开埠」とは外国との貿易のために港を開き、貿易拠点として開発すること。

訳語:開港

2.公和洋行

19世紀から20世紀にかけて上海で活動した英国系の建築会社。代表作に外灘の「HSBCビル(上海浦東発展銀行本部)」、「江海関ビル」、「沙遜ビル」、「中国銀行ビル」などがある。

訳語:公和洋行(Palmer & Turner)

3.马海洋行

1907年に英国人エンジニアによって上海で設立された建築会社。代表作に外灘の亜細亜ビルなどがある。

訳語:マーハー洋行(Moorhead&Halse)

4.闻名遐迩 (wén míng xiá ěr)

遠近に広く知れ渡り、有名であること。

訳語:広く知られる/名高い

5.余音缭绕(yú yīn liáo rào)

歌や音楽が美しく響き渡り、いつまでも耳に残って忘れられないこと。

訳語:余韻がいつまでも心に残る

6.历久弥新 (lì jiǔ mí xīn)

時間が経つほどに古びず、新たな魅力を持ち続けていること。

訳語:時を経るほど新たな輝きを放つ

『夜来香(イエライシャン)』は、1940年代に中国で大ヒットした代表的な流行歌です。

李香蘭(山口淑子)によるオリジナル

満州(現・中国東北部)出身の李香蘭(本名:山口淑子)が1944年に初めてレコーディングし、上海を中心に爆発的人気を博しました。彼女は日本統治下の満州で育ち、中国語と日本語を完璧に操る二重文化的背景を持ち、当時「満州の甘い声」と呼ばれました。歌手としてだけでなく、『支那の夜』などの映画でもスターとなりました。

歴史的背景

曲は作曲家・黎錦光(リー・チングァン)が作詞作曲し、官能的なメロディと「夜来香(月下香)の花」を恋人に例えた歌詞が特徴です。戦時下の緊張した世相とは対照的に、妖艶でロマンティックな世界観が人々を魅了しました。

その後の影響

1980年代に鄧麗君(テレサ・テン)がカバーし、再び大ヒット。現在でもジャズスタンダードとして和平飯店の老年ジャズバンドなどが演奏し、上海の「レトロモダン」文化の象徴となっています。李香蘭の歌唱バージョンは、歴史的経緯から複雑な評価も含みつつ、音楽的には中国ポップス史に残る名曲として愛され続けています。

これらの中国語を覚えることで、最新の話題や中国文化について理解が深まるでしょう。ぜひ日常会話の中で活用してみてください!

by Miki

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