足踏みをする春と確かな春の香りと
先週は寒い日が続いた。東京では月曜日、水曜日、そして昨晩も雪が降った。天候のことだから仕方ないとはいえ、固く決意したラジオ体操に行けなかったのは残念だった。
土曜日の朝は久しぶりに遠くまでウォーキングをした。線路脇の梅の花を見上げると、ちょうどウグイスがとまっていた。「梅に鶯」、まさに春らしい風景だ。神田川沿いでは、まだ小さく硬い蕾の桜の枝に、美しい翡翠色のカワセミが静かにとまっていた。
終点で、36段の階段を5回、計180段駆け上がるダッシュは相変わらず続けているが、ふと階段脇に沈丁花が満開になっていることに気づいた。花粉症で鼻がつまっているにもかかわらず、その強い香りがはっきりと感じられた。
2月の運動不足で急激に体重が増えてしまった。腰の痛みが抜けないのも、筋力の衰えが原因かもしれないと感じ、最近は自宅での筋トレを復活させている。我が家にはストレッチ用のマット、5キロのダンベルが2つ、腕立て伏せ用のプッシュアップバー、そして腹筋ローラーもある。わざわざジムへ通わなくても、自重トレーニングだけで十分な運動が可能なのだ。特に腹筋ローラーは、シンガポール駐在時代にベトナムで購入したもので、もう30年以上もベッド脇でスタンバイしている。
とりあえずスクワット、腹筋、腕立て伏せ、背筋、腹筋ローラー、ダンベル運動を始めた。腰痛を解消するためにも、しばらくは自宅トレーニングを続けようと思う。
NHKの大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を毎週楽しみに見ている。これまでの大河とはテーマが少し異なり、ビジネス的な側面も取り上げられている点が興味深い。主人公の蔦屋重三郎を演じるのは横浜流星さん。ちょんまげ姿でも端正な顔立ちが際立っている。自分もいつか、彼のような割れた腹筋を手に入れたいものだ。
上海人の気質「精明(ジンミン)」
当社のホームページに昨年から掲載を始めた「リアル中国生活!Mikiの上海通信」がお陰様で好評だ。毎週金曜日に新しいエッセイをアップしているが、多くの方にアクセスいただいているようだ。私自身も毎週このエッセイを読むのをとても楽しみにしている。
先週の金曜日のテーマは、「上海人の距離感について話します」。
読んでみて、なるほど、と思うことしきりである。上海に11年も住んでいたのだが、今更ながらに上海人の気質について納得してしまった。
上海人評において頻出する「精明(ジンミン)」とは、文字通り「聡明で計算高い」を意味する中国語表現である。この言葉は往々にして「打算的」「狡猾」といったネガティブなニュアンスで解釈され、同様に「冷淡」という評価と併せて用いられることが多い。しかし実際には、これらは上海人が重視する「境界線意識」への誤解から生まれたレッテルと言えよう。
具体的には、「精明」が指す本質は、合理的な判断力と効率性の追求である。不必要な摩擦を避けつつ最大の成果を導くための生活哲学が、外部からは「計算高さ」と映る場合がある。換言すれば、感情より理性を優先し、個人の領域を尊重する都市型コミュニケーションの在り方である。
上海人の「境界線意識」とは、人間関係において適度な距離を保つ文化的慣習を指す。過度な馴れ馴れしさを避けつつ、必要以上に距離を取ることもない、絶妙なバランス感覚が特徴である。この価値観は、国際都市として多様な文化が交錯する上海の歴史的背景が育んだ、成熟した市民文化の表れといえるだろう。
その他のエッセイも「へーっ」「なるほど」と思うことがふんだんに書かれている。ご一読いただければ幸いです。
交渉の難しさープライドよりも優先すべきもの
先週、米国とウクライナの交渉が決裂したことを受け、米国はウクライナへの武器や情報の提供を一時的に停止したと報じられた。その後、ウクライナのゼレンスキー大統領はトランプ大統領宛てに書簡を送り、これまでの米国の支援に感謝を伝えたという。またテレビでは、戦地にいるウクライナ兵士が米国への感謝を述べる映像も流された。
トランプ大統領は4日の施政演説の中で、ゼレンスキー大統領からの書簡について「Appreciate(感謝、評価)している」と述べた。
ゼレンスキー大統領は8日、11日にサウジアラビアで米国との高官級会談を行うことをX(旧ツイッター)で表明した。ただし、ゼレンスキー氏自身は出席せず、ウクライナ側からはイエルマーク大統領府長官、シビハ外相、ウメロフ国防相らが出席する予定である。
今回の会談では、ウクライナの物資・資源をめぐる権益問題や、米国が一時停止した軍事支援の再開について協議される見通しだ。米メディアによれば、米国側からはウィットコフ中東担当特使、ルビオ国務長官、ウォルツ大統領補佐官らが出席すると報じられている。
ホワイトハウスでのバンス副大統領への挑発的な発言が意図的だったのか、それとも偶発的だったのかは定かでない。しかし、いずれにしてもゼレンスキー大統領がトランプ大統領とバンス副大統領を怒らせ、交渉が決裂したという事実に変わりはない。
現実的に考えても、米国の支援なしでウクライナがこの戦争に勝利することは極めて難しいだろう。あの場では、どのような理由があろうとも、ゼレンスキー大統領は自身の発言を飲み込むべきだったのではないか。
安全保障の問題については、また別の機会に改めて議論すればよいのであって、今は何よりも米国から継続的な支援を確実に得ることが最優先だったはずだ。
たとえ屈辱を味わうことになっても、国を守ることを優先すべきだった。「交渉」というものの難しさを改めて痛感させられる出来事であった。
サウジアラビアで開かれる両国政府高官の会談が、良い方向に進むことを期待したい。
3月9日