ドングリと熊
朝、井の頭公園でラジオ体操をしていると、「ボコッ」と音がして何かが落ちてきた。足元を見ると、丸いどんぐりが転がっていた。
この秋、熊による人身被害のニュースが相次ぐ。聞けば、熊の好物であるどんぐりが不作で、冬眠前の熊たちが里に下りてきているという。落ちてきたどんぐりを見ながら、さすがにここまで熊は来ないだろうと苦笑した。
ふと、中国でパンダの双子を抱いた日のことを思い出す。同じ熊でもパンダは温厚で、最も凶暴なのはホッキョクグマ、次がヒグマだという。
気候変動などの影響で、人間と野生動物の共存にも変化が迫られている。何とか被害が続かないことを祈るばかりだが、自分のできることといえば何だろうか。
小春日和に始まる、新たなご縁
短い秋が駆け抜けるように進み晩秋へと近づく中、先週の金曜日は久しぶりに温かかった。日差しは柔らかく、ジャケットを脱いでもよいほどだった。日本では晩秋から冬にかけてのこのような穏やかな陽気を「小春日和」と呼ぶが、中国語で言えば「冬日暖阳(ドンリーヌワンヤン)」(阳は日本の“陽”)が近いだろう。どちらの言葉にも、人の心をほどくような優しさがある。
11月から、とある企業の顧問に就任した。その会社の社長とCOOと共に、「キックオフランチ」と称して、社長行きつけの麻布十番の隠れ家的な店に招かれた。
一斉に始まる形式の会席で、料理長は京都の名店で副総料理長を務めた方だという。最初に出されたのは、お赤飯の上に小さな甘鯛(ぐじ)をのせた先付であった。偶然にも、顧問就任を祝っていただくにふさわしい一皿であった。白味噌仕立てのお椀や、香ばしい鰻の締めなど、どの品も手仕事の美しさと、料理人の矜持がにじんでいた。
キックオフランチと称して、このような素晴らしい店に招かれたことに深く感謝した。大将自らが丁寧に語るひとつひとつの皿に込められた思いに耳を傾け、舌鼓を打ち、プロとしての真摯な仕事ぶりに心から感嘆した。
そして、自らもまた、このご縁を頂いた仕事を一つひとつ丁寧に積み重ねていこうと、決意を新たにした。
午前3時の首相
立て続けの外交日程を終え、国会での質疑に臨む高市首相の動向がメディアを賑わせている。
衆議院予算委員会に向けて、早朝午前3時集合の秘書官との打ち合わせ。その日の予算委員会では、早速この“早朝始動”について質問が飛んでいた。野党の人間からは、「周囲の人間を巻き込んで負担をかけているのでは?」というスタンスでの質問だったが、首相の説明では、官僚からレクチャーを受けるために人を集めて準備をしているわけではなく、自分が答弁する原稿を自分で赤を入れて秘書官に直してもらうという作業をするための時間だった。それでも、確かに迷惑をかけたかもしれないが、前夜までに資料ができていなかったことやファックスの不具合などで自宅では対応できず、あのような形を取らざるを得なかった、とのことだった。
女性初の首相という立場は、何をやっても「調子に乗っている」と揚げ足を取られかねないということを十分認識し、気配りをしながらの一挙一動であることは想像に難くない。
男女を問わず、64歳という年齢で夜明け前の3時から職務にあたること自体、率直に言ってただただ凄いと思う。正直に言えば、首相就任以前、メディアを通して報道されていた高市氏に好感を抱いたことは一度もなかった。しかし、就任以降の度重なる外交の場での振る舞い、そして今回のように午前3時から働く姿に触れるうちに、もしかしたらこの人は本気で何かを成し遂げようとしているのかもしれない――そう思うようになった。
今は素直に、頑張ってほしいと心から願う。ただし、どうかお身体もお大事に。
叔母の手
ひと月ほど前のこのブログに書いた、大好きな叔母が他界した。97歳8か月の見事な大往生であった。
9月に体調が悪化しているとの知らせを受け、介護施設に見舞いに行った。言葉を交わすことはできなかったが、温かな手を握り、これまでの感謝を静かに伝えた。
納棺の際、故郷の慣習に従い、参列した親戚一同によって叔母に白装束を着せた。四十九日のあいだに冥土への旅支度を整えるという古くからのしきたりである。
私はたまたま、手に手甲(てっこう)をつける役を任された。叔母の手をそっと持ち上げたとき、つい先日まで温もりを宿していたその手が、静かに冷たくなっていた。
叔母は安らかな面差しで、ただ気持ちよく眠っているかのようだったが、その手の冷たさが帰らぬ人となったことを私に実感させた。
11月9日
<今週の写真>
今週の1枚は、神田川の小枝にそっと留まる翡翠(カワセミ)。
これまで使っていたiPhone13 miniからiPhone17へ買い替えて撮影したものです。
カメラ性能が格段に向上し、翡翠の羽の輝きまで鮮明に写し出してくれました。