社長の日曜日

社長の日曜日 vol.122  凍てつく隣国関係 2025.12.15 社長の日曜日 by 須毛原勲

  • twitter

 暦の上での「大雪(たいせつ)」を過ぎてからというもの、この1週間は真冬のような厳しさだった。すれ違う人々の口からも、思わず「さっむー!」という独り言が漏れ聞こえてくる。皆、肩をすくめて足早に歩いていた。

 ウォーキングで体が温まるまでの最初の1キロほどは、足元の冷えがこたえる。かつて経験した真冬の北京の、あの刺すような寒さを思い出した。

 毎朝のラジオ体操も、その寒さのせいか参加者の数が目に見えて減っている。曇天の空は鉛色の雲に覆われ、どんよりと重たい。本来なら心と体をシャッキリと目覚めさせるための習慣なのだが、この暗く冷たい空気の中では、かえって気分まで沈んでしまいそうになる朝が続いている。

 そんな寒々しい朝とは対照的に、夜、街中を歩くと、気分はすっかりクリスマスである。きらびやかな飾りが通りに輝き、年末の装いとなってきた。

愛すべき「ペテン師」たちとの付き合い方

 人は、目の前で起きていることですら、案外簡単に見誤ってしまうものだ。

 先日、会食の席でプロのマジシャンによるテーブルマジックを見た。 わずか30センチ先で、右手に握っていたはずのコインが、気づけば左手の甲に乗っている。同席者はその瞬間を見逃さなかったというのに、術者の言葉を信じて右手ばかりを凝視していた私は、まんまと騙された。「あなたのように素直な方は、最高のお客様です。」 よく言えば素直、悪く言えば疑うことを知らない。私は昔から、この手の「不思議」に弱い。

 ふと、これは生成AIとの付き合い方に似ているな、と思った。 彼らは堂々と嘘をつく。「ハルシネーション」だ。もっともらしい顔でデタラメを語り、こちらが間違いを指摘すると、今度は平然と「おっしゃる通りです」と態度を変える。

 

では、この愛すべき「ペテン師」たちとどう向き合うべきか。 もはやAIを使うかどうかの議論は終わっている。重要なのは、どう使い分けるかだ。

 私は今、Gemini 3.0をメインに据え、Claudeをセカンドオピニオンとして使っている。世の中の流れや空気感を知りたいときはGrokを開き、ChatGPTは必要なときに呼び出す、という距離感だ。 それぞれに得意・不得意がある。万能を期待しない代わりに、役割を決めて任せる。

 マジックと同じだ。 右手に視線を集められている間に、左手で何が起きているのか。相手が「タネ」を持っていることを承知のうえで、その能力には敬意を払う。疑いすぎず、信じすぎず、適材適所で使い分ける――それが、この時代の知恵なのだと思う。

 相手の特性を見誤らず、言葉を鵜呑みにしない。 それは生成AIだけでなく、いまの隣国との関係にも当てはまるのかもしれない――確信はないが、そう考えずにはいられない。

静かに、しかし確実に進む「分断」

 寒波で凍えているのは身体だけではない。日中関係もまた、かつてないほどの「厳冬」を迎えている。

 中国政府が自国民に日本への渡航自粛を呼びかけてから、14日でちょうど1ヶ月。その影響は想像以上に深刻だ。 関西では、12月のインバウンド向けバス予約がほぼゼロになり、「コロナ禍並み」の惨状だという。影響は東北や北海道にも波及し、さらに先日の青森県沖地震を受けた再度の自粛呼びかけが、キャンセルに拍車をかけている。

 「人」の流れが止まる一方で、長年続いてきた「ビジネス」の太いパイプも、時代の変化と共に細りつつある。

 日経新聞の片隅に、小さく、しかし重たい記事が載っていた。キヤノンの中国・中山工場の閉鎖である。これは今回の政治的な騒動とは無関係な、長期的な競争環境の変化によるものだ。しかし、プリンターの雄として君臨したキヤノンが、現地企業の台頭に押され拠点を畳むという事実に、時代の変わり目を感じずにはいられない。かつて「世界の工場」への進出がブームだった頃を知る身としては、隔世の感がある。

 ソニーもスマホ事業の中国撤退を決めたという。「ソニー・エリクソン」が若者の憧れだった輝きも、今は昔だ。 政治的な対立という急激な「突風」だけでなく、経済構造の変化という静かな「隙間風」もまた、日中の距離を少しずつ、しかし確実に広げているようだ。

 「空」と「海」の便も、同時に閉ざされつつある。 歴史的に中国への玄関口であった長崎と上海。この二つの都市を結ぶ「空の定期便(中国東方航空)」が、今月の運航を中止し、来月は全便欠航となることが決まった。 それだけではない。中国のクルーズ船大手「アドラ・クルーズ」が、年末から来年1月末にかけて予定していた日本への寄港を急遽中止したことが判明した。本来なら沖縄の石垣港や長崎港へ寄港するはずだったが、行き先を韓国や東南アジアへ変更するという。同社は11月にも宮古島での下船を取りやめている。「中国企業の船だけがキャンセルされており、極めて異例だ」という関係者の言葉が、事態の根深さを物語っている。

 安全保障の現場でも、レーザー照射問題に対し、中国側は「通告した」、日本側は「聞いていない」と主張が噛み合わない。ホットラインすら機能不全だ。 この「分断」の先に何が待っているのか。落とし所が見えない現状に、底冷えするような不安を感じざるを得ない。

 正直に言えば、ここまで来ると、先が見えないことそのものが一番怖い。

「なんとなく」の怖さ

 先日、法事で帰省した際、ふと叔母が漏らした一言が耳に残っている。「中国って、なんとなく、嫌だよね。」 叔母は中国に行ったこともなければ、身近に中国人もいない。話したことすらない。 多くの人は、メディアでの報道だけで、その国への感情がたやすく左右されてしまう。   

 私が今、最も恐れているのはこれだ。

 今回の対立によって、実際は中国人のことなどよく知らない多くの日本人が、「なんとなく」彼らを嫌いになってしまうこと。この空気の醸成こそが、何よりも怖い。

 私はかつて、中国で13年間働いていた。 当然、中国人にもいい人もいれば、そうでない人もいる。それは、私がかつて住んだアメリカでも、シンガポールでも、そして日本でも全く同じことだ。人間など、どこへ行ってもそう変わらない。

 そして、彼らと深く付き合う中で気づいたことがある。 儒教を心の支えとする彼らの根底にある価値観は、我々日本人と驚くほど似ているのだ。家族を大切にし、礼節を重んじる。一度懐に入れば、とことん義理堅い。

 政治的な対立が続き、国としての扉が閉じられようとしている今だからこそ、我々一人ひとりが心まで閉ざしてしまうことは避けなければならない。

 この厳しい冷え込みが、ただの一時的な寒さで終わるのか、それとも長い冬の始まりなのか。 少なくとも、もうしばらくは注意深く見続ける必要がありそうだ。

《今週の写真》

井の頭公園の「お茶の水」。

江戸時代、鷹狩りに来た徳川家康が、この湧き水でよくお茶を入れていたのだとか。公園周辺の「御殿山」という地名は、その鷹狩りの際に立ち寄る御殿があったことが由来だそう。

さらに、3代将軍の家光がこの湧き水のおいしさを絶賛し、「井戸の中で一番」という意味で、この地を「井之頭」と名づけたという説も。(三鷹市HPから)

「井戸」という響きから、ふとある言葉が浮かんだ。
「飲水不忘掘井人(水を飲むときは、井戸を掘った人のことを忘れてはならない)」
1972年、日中国交正常化の際、周恩来総理が田中角栄首相に贈った言葉だ。

今のこの凍てつくような関係の中で、私たちは「井戸を掘った人々」の苦労や、そこに込められた想いまで忘れてしまってはいないだろうか。

湧き水のように澄んだ心で、歴史と向き合いたいものである。

2025年12月7日

by 須毛原勲

ブログ一覧に戻る

HOMEへ戻る