【特別企画】社長対談

「商社マンの仕事と鉄鋼ビジネスの魅力」
住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO 横濱雅彦氏 Vol.1(全3回) 2024.07.03

  • facebook
  • twitter

株式会社SUGENA代表須毛原 勲が多彩なゲストと様々なテーマで語りあう、対談企画第6回のゲストには、住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO 横濱雅彦氏をお招きしてお話を伺います。

【特別企画】社長対談 ゲスト横濱雅彦(よこはままさひこ)

住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO

1987年、住友商事入社。大阪で物流業務の後、台北での中国語研修生を経て、深圳事務所で通信設備、農水産を担当。
1991年以降は鉄鋼部門で主に鋼管貿易に従事。中国(宝鶏)と米国(ヒューストン)で鋼管製造事業の立ち上げ。現地出向を通じ、M&A業務と事業経営を経験。
2014年油井管事業部長。2017年鋼管本部長。2020年に執行役員、東アジア総代表補佐としてコロナ禍の上海に赴任。上海住友商事総経理を務めた後に帰国、2022年より現職。
座右の銘は「活到老、学到老」。休日の読書と、妻と一緒に映画を見たり旅行する事が生き甲斐。

横濱雅彦さん
  1. Vol.1「商社マンの仕事と鉄鋼ビジネスの魅力」住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO 横濱雅彦氏Vol.1
  2. Vol.2「中国とアメリカでの経験」住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO 横濱雅彦氏Vol.2
  3. Vol.3「グローバル人材に求められるもの」住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFO 横濱雅彦氏Vol.3

ー 須毛原

『社長対談』今回のゲストは、住友商事株式会社 執行役員 鉄鋼グループCFOの横濱雅彦さんをお迎えしました。

横濱さんは1987年に住友商事株式会社に入社。以来、台湾での語学研修を経て、中国、米国といった海外市場での事業展開に携わって来られました。特に鉄鋼部門において多大な貢献をされていらっしゃいます。

「鉄は国家なり」という言葉は古くからよく語られていますが、今もなお国家の安定と発展に不可欠な資源や産業の重要性を訴える際に引用されます。 長年にわたり鉄鋼事業に携わって来られた横濱さんに、その業界の見識を伺いつつ、中国や米国での赴任経験を踏まえ、海外事業での様々なご経験や乗り越えて来られたことなどについてもお聞かせいただきたいと思います。

外国人が一人もいない土地で

ー 須毛原

私の方から簡単に横濱さんのご経歴をご紹介させていただきましたが、改めて自己紹介をお願いできますでしょうか。

ー 横濱

1987年に住友商事に入社し、最初の配属は大阪本社で輸出の船積み手配を担当する海外運輸部でした。当時は住友化学さんの化学品、農薬などを輸出する船舶手配の業務を行っていました。その後、営業部転属を希望したところ、語学研修に出ることを提案され、台湾へ語学研修に行きました。台北の語学学校で4か月の研修後、できたばかりの深圳事務所に赴任しました。その後は学校には通わず、いきなり業務で言葉を覚えろということで、NECさんの電話交換機や無線通信設備や光ケーブルなどを中国に売り込むという仕事を担当しました。その後、91年に鉄鋼部門に帰任し、その後は鉄一筋ということで、長らく鋼管貿易に携わりました。その間に、中国陝西省の宝鶏とアメリカに駐在しました。

ー 須毛原

当時の陝西省の宝鶏はかなり田舎ではありませんでしたか?

横濱

何も無いド田舎でした。中国料理以外の飲食店は皆無で、唯一西洋の雰囲気が味わえるものと言えば、私の帰任寸前にできたケンタッキー・フライド・チキンでした。

ー 須毛原

宝鶏には何年いらっしゃったのですか?

横濱

3年です。

ー 須毛原

単身で行かれたのですか?

横濱

もちろんです。外国人は全くおらず、住友金属さんから派遣された6名の方々と私、合計7人の外国人居留証のナンバーが1番から7番でしたから。

ー 須毛原

それはすごいですね!

横濱

その後、アメリカのヒューストンとオハイオ州のヤングスタウンというところでフランスの会社との合弁事業に携わり、帰任後は事業開発やM&A業務など担当し、鋼管本部長を経て、2020年に3度目の中国ということで上海に赴任し、総代表補佐と上海住友商事の総経理を務めました。 2022年、まさに中国がコロナでロックダウンをしているという時期に日本に帰任して現在に至っています。

ー 須毛原

通算では何年海外で過ごされたのでしょうか。

横濱

10年ちょっとだと思います。

鉄鋼事業は産業の骨格

ー 須毛原

様々なご経験をされていらっしゃいますが、その中で感じて来られた鉄鋼事業の魅力や印象深い出来事、味わった達成感などをお聞かせいただけますでしょうか。

横濱

住友商事は今年60年ぶりに商品本部制を改め、営業部門を9つのグループに再編しました。鉄鋼グループは歴史と伝統がある筆頭グループに位置付けられています。 鉄鋼の魅力は、やはりあまねく全産業に使われるということで、家電、自動車産業、造船業、鉄道、土木建築などお客様は多岐に亘っています。私が長くやっていた鋼管でいうと、エネルギー産業で、石油や天然ガスを掘削する油井管、輸送するラインパイプや、発電所用途でも多く使われていて、幅広いお客様がいるということで、ダイナミックな仕事をさせていただきました。他にも、薄板等の鋼材では日本の製造業さんが海外に進出する所について行き、加工センターを作る等のビジネス展開をしますので、多岐に亘る産業にリーチがあることが魅力でもあります。さらに、鉄鋼業は各国がそれぞれ力を入れてやっていますので、非常にグローバルビジネスということを体感できるということも魅力に一つであると思います。

ー 須毛原

まさに、日本企業の海外展開を鉄という面からサポートされてきたということでしょうか。

横濱

そうですね。よく、鉄は産業の米だ、と言われますが、まさに主食であって欠かせないものとして考えられています。最近では半導体も同じように言われているようですが、私からすると「鉄は産業の骨格」で、半導体は「産業の神経系」なのかな、と考えたりします。骨格である鉄は、強さと安定性、半導体は神経系ということで情報処理と制御をつかさどる、そういったイメージではないでしょうか。

ー 須毛原

なるほど。私はメーカーにいたので、住友商事さんのような会社が産業を横串で支えて来られたというのはよくわかります。

横濱

そうですね。我々も日本の製造業さんが作った高品質で競争力があるものがあったからこそ商社が成長できたということがあり、事業を通じて世界中に我々が取り扱う製品を知ってもらう、使ってもらうということには非常に達成感があります。

ー 須毛原

中国やアメリカでは、その国の企業にも販売を展開されていたのですか?

横濱

私がやっていたエネルギー鋼管の場合、石油やガスの開発は日本では余り行われていないので95%は海外のお客様です。各国の企業に売り込みに行きました。

ー 須毛原

直接行かれるのですか?

横濱

そうですね。例えば中国では各省にある石油管理局に売り込みに行きました。

ー 須毛原

私も前職では現場に近い立場でしたので、同じような経験はありますが、日本企業が海外に行って直接何かを売り込みに行く、というのは二の足を踏んでしまうこともあると思います。横濱さんの場合、それができた、というのは何があったからでしょうか。企業としての自信でしょうか。

横濱

当時、中国では油田と関係を持っている問屋さんに紹介してもらって売り込みに行きました。

ー 須毛原

なるほど。ただ、そういったネットワークも、「売り込みに行くんだ。」という強い意志が無いと充分活用できないことになりますね。

横濱

そうですね。90年代初頭当時は、まず技術交流から始めました。段ボール箱何箱分もの技術資料を持って行ってプレゼンすると、中国企業側の人は何十人も出てきて必死になって勉強していました。その後半年くらい経つと「この商品を買いたい。」と言ってくれて商談成立となるという流れでした。ですから仕込みに1年くらいかかるといった感じでした。

ー 須毛原

すごくよくわかります。狙うべき獲物を決めてあらゆるネットワークを活用してアプローチしても、なかなか簡単には結果は出ません。それで諦めてしまう企業さんも多いですが、横濱さんがおっしゃったように1年とか1年半とか経って結果が出るということは、まさに商社さんの売りに繋げる執念といったものだと思います。

横濱

当時は今と違ってインターネットもパソコンも無い時代でしたが、「学びたい」という気持ちを持った人がとても多かった印象が強いです。

ー 須毛原

私が中国に駐在していた頃よりも更にそういう方が多かったのではないでしょうか。

横濱

そうですね。一つ今と違って追い風だったのは、日本に対するリスペクトが非常にあったことかと思います。日本に学べ、という雰囲気を肌で感じましたので、それはある意味ラッキーだったのかなと思います。

ー 須毛原

そういった中でもやはり最終的には人と人、個と個との関係で、その関係が上手く行けばビジネスも繋がる、ということだと私は思っています。

横濱

そうですね。当時、中国各地の油田に行くのに夜行列車で十何時間も揺られて行ったりしていました。道中では、乗り合わせた中国の人に絡まれたり親しくなったり、いろいろな体験をしました。そういった経験をしながら、中国の人が日本に対してどう思っているのかとか、この部分には絶対に触れてはいけないんだ、といったようなことを少しずつ学んでいったような気がします。

ー 須毛原

すごい経験をされていらっしゃいますね。

商社マンといえば、「スマートなエリート集団」というイメージかと思いますが、実際の仕事はタフで地道な努力の積み重ねだということを改めて感じました。鉄鋼事業は「産業の骨格」という横濱さんの言葉は、横濱さんがそこで感じた面白さや達成感に裏打ちされた実感がこもったものだと思います。

次回は、中国とアメリカでのビジネスについてお話を伺います。

社長対談一覧に戻る

PAGETOP