もし秋に上海を訪れるなら、大闸蟹(上海蟹)(※)を味わうことは旅の重要なハイライトになるでしょう。そして、それは忘れられない美食体験のひとつになるに違いありません。
古代から愛される美食の宝物
この硬い殻を持つ水生甲殻類が、いつ頃から人に見出され、美食として親しまれるようになったかについてはさまざまな説があります。一説によると、その起源は周代(※)にまで遡ると言われており、唐の盛期には皇室への貢品として献上されていました。当初は飢えをしのぐために食べられていましたが、その美味しさは人々を魅了し、広く知られるようになりました。古代の文人たちは、蟹を食べる行為を次第に詩情あふれるロマンティックな儀式へと昇華させました。
詩に詠まれる大闸蟹の魅力
古代の人々は詩を詠むことを愛していました。大闸蟹について詠んだ詩も多く残されています。例えば、唐代の詩人が詠んだ「湖田十月清霜堕 晚稻初香蟹如虎」(※)(十月になると田畑に霜が降り、稲穂が香り始める頃、蟹は虎のように肥える)という詩句は、大闸蟹が最も美味しくなる季節を見事に表現しています。
蟹を味わう上品な儀式
蟹は体を冷やす性質があるため、食べる際には必ず香醋(黒酢)(※)や細く刻んだ生姜、そして黄酒を合わせるのが伝統です。また、殻が硬く食べづらいため、古代の人々は「蟹八件」(※)と呼ばれる専用の道具を発明しました。この道具は、蟹を固定するものや、殻を割るためのハンマー、肉を取り出すための細長い針など、さまざまな機能を備えており、蟹を優雅にゆっくりと楽しむために使われます。
秋の社交と美食の融合:菊と蟹の季節
「九月団脐十月尖 持蟹飲酒菊花天」(※)(九月には丸い腹を持つ雌蟹の蟹黄を味わい、十月には尖った腹を持つ雄蟹の濃厚な蟹膏を楽しむ。そして蟹を手に酒を飲みながら菊を楽しむ。) 秋風が吹き、菊の花が咲き誇る頃、菊を愛で、詩を詠み、蟹を食べることは、古代の人々にとって高雅な社交の食事イベントとなりました。この贅沢な美食に最高の敬意を払い、手間と時間がかかる行為を豊かな文化的体験へと昇華させました。このことは、大闸蟹が中国の食文化の中でいかに重要な位置を占めているかを物語っています。
上海と大闸蟹の深い縁
上海が大闸蟹と深い関係を持つ理由の一つは、江南地方(揚子江の南)には水路が豊富で、古くから「簖(duàn)」という竹製の道具を使って水産物を捕る技術が発展していたことにあります。「簖」は後に「滬(hù)」という字に進化し、上海の別名「沪」(※)の元となりました。大闸蟹は長江流域の淡水湖に生息しており、上海は沿岸に位置し、水産物を好む食文化を持っています。そのため、「近水楼台先得月」(※)(水辺に近い楼閣が月を早く手に入れる)ということわざのように、地理的な利点からその美味を早く楽しむことができたのです。
上海人の蟹を食べる流儀
現在でも、上海人は大闸蟹を食べることに特別な儀式感を持っています。
毎年6月や7月になると、上海の食卓にはすでに「大闸蟹」が登場しますが、これは「六月黄」(※)と呼ばれる未成熟の蟹です。サイズは拳ほどにも満たず、半分に切り、片栗粉をまぶして毛豆(枝豆)や年糕(もち)と一緒に炒めます。その味はあまりにも美味しく、思わず指を舐めたくなるほどで、上海の家庭では非常に親しみのある料理です。これは、成熟した「大人の大闸蟹」の登場に向けた前奏とも言えます。
「九雌十雄」:一年に一度の蟹の季節
いわゆる「九雌十雄」(※)(旧暦9月は雌蟹、10月は雄蟹)という言葉の通り、旧暦9月になると一年に一度の大闸蟹のシーズンが正式に始まります。この時期の雌蟹は蟹黄がたっぷり詰まっており、通常2~3両(約75~110g)のサイズです。さらに秋が深まると、雄蟹は白く濃厚な蟹膏(精巣)が詰まり、大きなものでは4~5両(約150~185g)にもなります。
自分で選ぶ理想の蟹
自分で水産市場に行って「合格」と記された蟹を選ぶこともできます。その基準としては、滑らかで光沢のある青い背中と白く清潔な腹を持ち、長く力強い蟹の爪には金色で滑らかな毛があるものが理想的です。地面に置いた時に、8本の脚がしっかりと立ち、両方のハサミを高く掲げられるものこそ、威風堂々とした優れた蟹といえます。
老舗の「蟹宴」を堪能する
また、レストランで楽しむこともできます。上海の中華老舗ブランド「王宝和大酒店」(清朝乾隆9年、1744年創業。2024年で創業280周年)は、大闸蟹を使った「蟹宴」で知られています。ここでは客が手間をかけることなく、専門のシェフが蟹肉や蟹黄を丁寧に取り出して調理します。蟹黄を使った炊き込みご飯、蟹粉入りの獅子頭(蟹肉団子)、蟹黄の卵料理(芙蓉蟹粉)など、さまざまな蟹料理が楽しめます。そして最後には必ず蒸した大闸蟹が黄酒(※)と共に供され、その新鮮な味わいを堪能します。この季節、ビジネス会食には蟹宴が定番で、老舗ホテルは予約が取りにくいほどの人気です。
大闸蟹の本場「陽澄湖」を訪れる楽しみ
さらにこだわりたいなら、大闸蟹の原産地である「陽澄湖」(※)を訪れるのがおすすめです。週末になると、上海ナンバーの車が次々と陽澄湖に向かう光景が見られます。「陽澄湖で蟹を食べること」は、毎年秋冬の親しい友人や家族との集まりの定番行事の一つとなっています。
陽澄湖について
- 所在地:陽澄湖(Yángchénghú)は、中国江蘇省蘇州市に位置し、上海の北西にある。
- 面積:約120平方キロメートル(東湖、中湖、西湖の3つに分かれる)。
- 特徴:透明度が高い水質で、砂と泥が混ざった湖底は蟹の生息に最適。水草や微生物も豊富。
なぜ陽澄湖が大闸蟹で有名なのか
- 理想的な自然条件:透明度の高い水質と砂泥の湖底が蟹の成長に適している。
- 品質の高さ:陽澄湖産の蟹は肉が引き締まり、蟹黄や蟹膏が濃厚で他産地と一線を画す。
- 歴史的背景:養殖の歴史が長く、清朝以降、名産品として評価され、皇室への献上品にもなった。
- ブランド化戦略:「陽澄湖大闸蟹」は保護を受け、国内外で高級ブランドとして認知されている。
上海からのアクセス
- 距離:上海市中心部から約80~100km。
- 所要時間:車で約1.5~2時間。
- 公共交通機関:高速鉄道で蘇州市まで約30~40分、その後タクシーやバスで20~30分。
農家レストランで楽しむ昔ながらの体験
多くの客を引きつけるため、一部の農家レストランでは灯籠を吊るし、小さな東屋を建て、池を掘り、錦鯉を育てるなど、古代にタイムスリップしたような趣を演出しています。また、一部のレストランでは、現地で採れた素材を活かすことを特徴としています。湖から採れる蓮の花やレンコンを料理に使ったり、船に乗って湖に出て自分で蟹を捕る体験ができるようになっています。
蟹を中心に発展する観光エリア
都市生活者の週末のアウトドア需要を狙い、陽澄湖周辺では「蟹を食べる」というテーマを中心に成熟した商業エリアが形成されています。湖の近くには、壮麗な仏教寺院「水天仏国・重元寺」、古い倉庫を改装した文化施設、一箇所で何でも揃うアウトレットモール、親子で楽しめるアクティビティ施設などが点在しており、どれも陽澄湖から車で30分以内でアクセス可能です。これにより、「蟹を食べる」目的の旅行に、さらに充実したアウトドア体験が加わっています。
オンライン販売で広がる蟹の購入方法
ネット通販やライブ配信による販売の台頭により、大闸蟹の購入ルートが多様化し、販売業者に新たな成長機会をもたらしています。オンラインショッピングの便利さと豊富なプロモーションは、多くの若い消費者を引きつけています。特に現在の大闸蟹購入の主力層である1980年代生まれの世代は、ネットを通じて養殖方法や健康基準を調べ、自分の好みに合ったブランドや蟹のサイズ、新鮮度、産地を選んだりしています。
季節の味覚として欠かせない存在
経済の低迷が一定の消費の縮小をもたらしているとはいえ、大闸蟹は上海人にとって、元宵節の湯円や中秋節の月餅のように欠かせない季節の味覚です。
上海人は例え少しでもその味を楽しみ、時には思う存分堪能するのです。
<今週の中国語>
1. 大闸蟹(Dàzháxiè)
- 日本語訳: 上海蟹、または毛蟹
- 説明: 秋に旬を迎える淡水の蟹。主に長江流域で養殖され、特に「陽澄湖」のものが高級品として知られる。
2. 周代(Zhōu Dài)
- 日本語訳: 周朝
- 説明: 中国の歴史上の「周朝」(紀元前1046年頃~紀元前256年)。多くの文化的・食材の起源とされる時代。
3. 香醋(Xiāngcù)
- 日本語訳: 黒酢
- 説明: 大闸蟹を食べる際に欠かせない調味料。香りが高く、蟹の風味を引き立てる。
4. 黄酒(Huángjiǔ)
- 日本語訳: 黄酒(ホワンジウ)
- 説明: もち米や小麦を使って作る中国の伝統的な醸造酒。アルコール度数は10~15%で、琥珀色。まろやかで少し甘い味わいが特徴。
- 特徴:
- 歴史: 3000年以上の歴史を持つ、中国最古の醸造酒の一つ。
- 代表銘柄: 「紹興酒」が有名。
- 飲み方: 温めて香りを楽しむ、冷やして飲む、または調味料として使用。
- 蟹との相性: 大闸蟹の寒性を和らげ、味わいを引き立てる。
5. 簖(Duàn)
- 日本語訳: 竹で作られた漁具
- 説明: 古代中国で使用された水産物捕獲用の道具。上海の別名「沪」の語源となる。
- 補足: 「沪」は現在、上海の車のナンバープレートにも使われている略称。
6. 六月黄(Liùyuèhuáng)
- 日本語訳: 若蟹
- 説明: 大闸蟹の幼体。6~7月に収穫され、家庭料理として調理される。
7. 九雌十雄(Jiǔ Cí Shí Xióng)
- 日本語訳: 9月は雌蟹、10月は雄蟹
- 説明:
- 9月: 雌蟹の蟹黄(卵)がたっぷり詰まり、濃厚でクリーミー。
- 10月: 雄蟹の蟹膏(精巣)が成熟し、滑らかで濃厚な旨味が特徴。
- 背景: この表現は蟹の旬と味わいを端的に伝え、中国の食文化を象徴する言葉。
8. 蟹八件(Xiè Bājiàn)
- 日本語訳: 蟹専用道具セット
- 説明: 蟹の殻を割るための8種類の道具。蟹を優雅に、手を汚さず楽しむための必需品。
蟹八件の構成
- 蟹垫(Holder):蟹を固定するための台座。蟹が動かないようにする。
- 蟹敲(Hammer):硬い殻を割るための小さなハンマー。
- 蟹劈(Splitter):大きな殻を分割するための道具。
- 蟹叉(Fork):蟹肉をすくい取るためのフォーク。
- 蟹剪(Scissors):小さな殻を切り取るためのはさみ。
- 蟹夹(Claw Picker):蟹の爪肉を取り出すためのピンセット状の道具。
- 蟹剔(Needle):隙間から蟹肉を掘り出すための細い針。
- 蟹盛(Spoon):掘り出した蟹肉を盛り付けるためのスプーン。
<気になる成句>
1. 湖田十月清霜堕 晚稻初香蟹如虎
- 発音: Hútián shíyuè qīngshuāng duò, wǎndào chūxiāng xiè rú hǔ
- 由来: 唐代の詩人 张志和(Zhāng Zhìhé) の詩句。
- 意味: 10月に霜が降り、稲の香りが漂う頃、大闸蟹が最も美味しい季節であることを詩的に表現。
- 特徴: 自然と食文化を調和的に描写。故事成句ではないが、詩的な価値が高い。
2. 九月团脐十月尖 持蟹饮酒菊花天
- 発音: Jiǔyuè tuán qí, shíyuè jiān, chí xiè yǐnjiǔ júhuā tiān
- 由来: 特定の詩や作者には帰属せず、伝統的な文化に根ざした表現。
- 意味: 農暦9月には雌蟹、10月には雄蟹が旬で、菊花が咲く秋の季節に蟹と黄酒を楽しむ様子を詩的に描写。
- 文化背景: 秋の食文化と詩歌が融合した表現で、古代文人たちの優雅な習慣を反映。
3. 近水楼台先得月
- 発音: Jìn shuǐ lóutái xiān dé yuè
- 由来: 宋代の詩人 蘇麟(Sū Lín) の詩「断句」に由来。
- 詩句: 「近水楼台先得月 向陽花木易為春」(水辺に建つ楼台は先に月を得る。太陽に向かう花や木は、すぐに春らしい姿になる。)
- 意味: 地理的な有利さや状況の優位性から、他より早く恩恵を得ることを比喩的に表現。
- 現代の使用: 立場や関係性で先に利益を得る場面を指すときに使われる。
これらの中国語を覚えることで、上海蟹の話題や中国文化について理解が深まるでしょう。ぜひ日常会話の中で活用してみてください!