2月23日は天皇誕生日である。今上天皇徳仁陛下が65歳の御年を迎えられた。雅子皇后陛下とともに公務に臨まれる姿を拝見する機会も増え、お二人の穏やかなお姿と笑顔が、日本の平穏を象徴しているかのように感じられる。
昭和49年、昭和天皇・香淳皇后両陛下が国民体育大会行幸啓の折、水戸の偕楽園に立ち寄られた際のことを今も鮮明に記憶している。当時私は中学生だったが、人垣の外から背伸びをして、ほんの一瞬だけ崇高なお姿を仰ぎ見た感動は、今も胸に残っている。
シンガポール駐在時代には、カンボジア・プノンペン訪問時に宿泊したホテルが秋篠宮家の紀子妃殿下ご一行と重なり、間近にそのお姿を拝する機遇に恵まれた。控えめながら慈愛に満ちたお振る舞いが印象的であった。
災害の多い我が国において、両陛下が被災地に足を運ばれ、膝を折って被災者に寄り添い、言葉をかけられる姿を拝見する度に、深い敬意を覚えずにはいられない。皇室の方々のこうした篤い御心遣いが、どれほど多くの国民の心の支えとなっていることだろう。皇室と国民の絆が、日本の伝統と現代を繋ぐ大切な礎であることを改めて感じる佳き日である。
春の訪れの前の寒波
厳しい寒さが日本列島を覆っている。今朝はいつもより30分遅く家を出たが、頬に当たる北西風は刃物のように鋭く、吐息が瞬時に白霧となって空中に漂った。思えば2月に入ってから、「最強寒波」「最長寒波」という言葉が毎日のようニュースで取り上げられ、東北や北陸地方を中心に大雪と寒波に見舞われていた。東京でも朝方は零下2、3度くらいまで気温が下がっていた。
北京駐在時代、零下5度は日常であった。稀に零下15度まで下がる日もあったが、真の極寒体験は中国・黒竜江省ハルビン市で味わった。1月から2月にかけて開催される「ハルビン国際氷雪祭」──ギネス認定の世界最大氷彫刻展を見学した時のことだ。現地販売代理店の幹部に導かれ、ライトアップされた会場に足を踏み入れた瞬間、零下30度の大気が肺を痺れさせた。数分で睫毛が凍り付き、30分後には生命が危ぶまれる状況に陥り、這うようにして脱出した。
気象庁の予報によれば、この苛烈な寒さはあと1週間で緩む見込みである。3月には東京の気温が10度台に回復し、梅の花も咲き揃うだろう。沈丁花の蕾が膨らんできて、極寒の先に確かな春が息づいているのを感じる。
ネパール人のサビラさん
ジョギング帰りに、牛乳や雑誌を買いにコンビニに立ち寄ることがある。
あるコンビニでは、よく、杖をついたおじいさんと一緒になる。毎朝、おにぎり、サンドイッチ、バナナなどを買いに来ている。レジでの支払いはいつも現金で、お財布から現金を取り出すのに多少時間がかかる。いつものことなので、後ろに並ぶのもプレッシャーをかけてしまうだろうと、店内で他のモノを買うフリをして時間を潰す。
店員さんは根気よく、決しておじいさんに圧をかけることなく待っている。おじいさんの会計が終わってレジに行くと、「お待たせしてすみません」と頭を下げてくれる。
そのレジでは、ネパール人の店員さんと最近話すようになった。名前はサビラさん。出身地は、ポカラという街らしい。日本語が流暢で、とても気がつく優しい人である。もっと家の近くに別のコンビニがあるのだが、どうしても、店員さんの対応が気持ちの良いこちらのコンビニに足が向いてしまう。
ラジオの時間
朝、走るときにラジオを聴くことが習慣になっている。最近は、ラジオと日経のLissNという英語のニュースアプリを聴いている。
平日は、朝6時半から始まるTBS「森本毅郎・スタンバイ!」を30分ほど聴いている。ちょうど朝のラジオ体操と重なる時間なので、Radikoのアプリで時間をずらして聞いているが、一日のニュースがおおよそ分かるので助かっている。
日曜日は、TBSの安住紳一郎の「日曜天国」を聴くのが楽しみだ。長年続く人気番組なのだが、海外駐在が長かった私は、最近になって聴き始めた。テレビとはひと味違う安住紳一郎のトークが抜群に面白いだけでなく、アシスタントの中澤有美子さんの声がとても素敵だ。特に、ケラケラと笑う声に楽しさが溢れていて、聴いている方も楽しくなってしまう。毎週のゲストも多種多彩。翌週の仕事のことが頭を掠め、多少憂鬱になりそうな日曜日だが、安住さんと中澤さんの声が穏やかな気持ちにさせてくれる。
高校生くらいまで、ラジオは欠かせない友達だった。ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイ・ヤング」を、ソニーのラジオ“スカイセンサー”で深夜に毎晩聴いていた。
まだ、ネットもSNSも無い時代。ラジオから聞こえる音楽や様々な話題の向こう側に、未知の世界が拡がっている感じがしていた。
2月23日