朝のルーティン ―― 水に清められる心と体
先週は一時的に猛暑が影を潜め、涼しい日が続いた。ほぼ毎日、ラジオ体操に参加するために遠くの公園まで足を延ばした。200メートルほどを速めのペースで走り、その後ウォーキングに切り替えるという動作を繰り返す。途中では坂道ダッシュを5往復し、最後には36段の階段を使ったダッシュを5本行った。
ジョギングの締めくくりには、弁財天の境内に足を踏み入れる。手水舎(ちょうずや)には澄んだ水がたたえられている。ひしゃくを手に取り、まず左手に水を注ぎ、続いて右手を清める。さらにもう1度水をすくい、左手に受けて口をすすぐ。ひと呼吸おいて、すすいだ左手をもう一度清めると、身も心もわずかに軽くなるような感覚を覚える。最後に、境内の片隅に鎮座する小さなカエルの置物に水をかける。
そして「オン ソラソバテイエイ ソワカ」と唱え、ご本尊に向かって手を合わせる。この朝のルーティンは心地よく、今日も一日を頑張ろうという気持ちにさせてくれる。
「戦争を起こしてはならない」という真実
8月15日、終戦から80年を迎えた。1971年に大ヒットしたジローズの「戦争を知らない子供たち」には「僕らは戦争を知らずに育った子供たちだ」というフレーズがある。当時まだ小学生であった自分も、それを口ずさみ、いまだに歌うことができる。戦後80年ということは、終戦前に生まれた人々は81歳以上の世代だけになったということである。確かに、戦争の記憶は風化しつつあるのかもしれない。我々は何をすべきなのかを考えさせられる。
一方で、2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻はいまだ終息の兆しを見せず、イスラエルによるガザ地区侵攻も激しさを増している。
8月16日、米国アラスカ州においてトランプ大統領とプーチン大統領の会談が行われた。米国大統領とロシア大統領が直接会うのは実に4年ぶりである。報道からは具体的に何が語られ、何が合意されたのかを知ることはできない。ただ、プーチン大統領は「もし、あの時、米国大統領がトランプ大統領であったなら、戦争は起きなかっただろう」と述べた。真実はわからない。しかし、戦争を起こしてはならないということ、それだけは確かな真実であろう。
現在、メディアは「台湾有事」を騒ぎ立てている。しかし重要なのは、それが起きたらどうするかではなく、絶対にそうした事態を招かないよう、あらゆる努力を尽くすことである。今回の会談は大きな成果がなかったと報じられているが、まずは米国大統領トランプとロシア大統領プーチンが直接会談に臨んだという事実、それ自体が一つの成果であるのかもしれない。
映画「国宝」が映し出した魅力
評判の映画「国宝」を観に行った。その日は山の日の休日とあって、映画館は満席であった。3時間に及ぶ長編であったが、誰一人として席を立つ者はいなかった。
映画そのものは見応えがあり、映像の美しさと劇中に描かれる歌舞伎の舞の華やかさに引き込まれた。しかし、それ以上に、これほど多くの人々を夢中にさせている要素は何であるのか、その点に強い関心を抱いた。
自分はこれまで歌舞伎を一度しか観劇したことがなく、本物との比較はできない。ただ、映画の中で、主演の吉沢亮さんと横浜流星さんの舞が大きな役割を担い、その表現に強く心を動かされたのは事実である。
一方で、3時間の長さに比して物語の展開に唐突さがあり、観客を置き去りにする場面も所どころ見受けられた。おそらく説明を省くことで余韻を持たせようとした編集であろうが、むしろ大切な部分が切り落とされているようにも感じられた。正直なところ、展開を十分に理解することができなかった箇所もあった。これは、原作を読んでからこの映画を観るべきか、読まない方がよいのか、巷でその意見が分かれていることにも表れているように思う。
長嶋監督を偲び、新たな決意を胸に
先週の「社長の日曜日」で予言したとおり、16日の長嶋茂雄終身名誉監督追悼試合で、岡本和真選手が4番サードとして1軍復帰を果たした。残念ながら快音を響かせることはできなかったが100日ぶりの雄姿を迎えるファンの大声援には胸を打たれた。
首位・阪神の背中はあまりにも遠い。しかしクライマックスシリーズが残されている。昨年、巨人はペナントレースを制したにもかかわらず、DeNAに敗れて日本シリーズへの出場を逃した。結果としてDeNAがソフトバンクを破り、日本一となった。今年はそれを巨人が再現する可能性は依然としてあるのだ。
球場で声をからして応援を続ける巨人ファンに劣らぬよう、私も一人のファンの端くれとして、最後まで応援し続けたいと固く決意した。長嶋茂雄終身名誉監督追悼試合は、まさにその思いを新たにする一戦であった。
道具か友か――AIに人が求めるもの
先週、ChatGPT5について記したが、その後、この新モデルに対して批判的な声が相次いでいる。
先週の段階では、モデルが「ChatGPT5」「ChatGPT5 Thinking」「ChatGPT5 Pro」の3つに整理されたと書いた。しかし本日時点では「Auto」「Fast」「Thinking」「Pro」に加え、レガシーモデルとして「GPT-4o」が復活している。
背景には、GPT-4oに見られた迎合的な応答が誤回答につながると問題視されてきた経緯がある。そこでChatGPT5では忖度的な賛同を減らす改善が施されたが、その結果、逆に一部の利用者の反発を招いたようである。ある利用者は毎日ChatGPTに悩みを相談し、寄り添った回答に励まされてきたが、「GPT-5は感嘆符もなく、事務的な回答しか返ってこない。人格が変わったようで、いくら賢くても喪失感が大きくつらい」と失望を口にしているという。
私は、ChatGPT5がGPT-4oに比べて忖度的な賛同を減らした点を利点、改善点として評価していた。しかし、多くの利用者はそう受け止めていなかったようである。
オープンAIの新モデルに対する批判は、性能の問題にとどまらず、利用者がAIに「感情的なつながり」を求めている現状を浮き彫りにしている。AIとの付き合い方が多様化していることを、改めて認識させられた。
夏の帰省と松五郎のスタミナラーメン冷やし大盛り
大学生の頃、夏休みになると必ず帰省していた。高校時代の友人と連れ立ち、地元茨城県の阿字ヶ浦へ海水浴に出かけたものである。大瀧詠一の「君は天然色」や山下達郎の「Ride on Time」のメロディーは今も耳に残り、あの夏の記憶を呼び覚ます。村上春樹の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』、そして片岡義男の小説をむさぼるように読んだのもその頃である。
中学時代の友人とは、茨城B級グルメのスタミナラーメンの元祖とされる勝田駅前の「松五郎」に足を運び、冷やしスタミナの大盛りをよく食べた。
両親はすでに他界し、故郷に帰る家はない。しかし、あの時代の思い出はいまも鮮やかに心の中で生き続けている。あの頃の友人に、時折、無性に会いたくなる。
また、暑さがぶり返してきた。来週は酷暑日が続くという。立秋を過ぎ、暦の上では「残暑」となったが、まだまだ本気の暑さである。どうか皆様、お身体を大切にお過ごしください。
8月17日