
■ 熱い夜の余韻
朝6時。外はすでに明るい。ドアを開けると、少しだけ肌寒いが、歩き進めて身体が温まるころには手袋など必要なくなっていた。道ばたには様々な花が顔を出し始め、桜の開花予想も発表された。3月18日頃にはソメイヨシノも咲き始めるという。春本番は、もう目前だ。
それにしても、昨晩のWBC日韓戦は凄まじかった。初回、先発の菊池雄星投手がいきなり3点を失う重苦しい立ち上がり。その後、逆転、逆転の連続で、最後まで勝負の行方が分からないヒリヒリとした試合展開。最終スコアは8対6。野球の醍醐味が凝縮された一戦だった。
苦境を救ったのは、大谷翔平選手の同点ホームランであり、鈴木誠也選手の2発のアーチであり、吉田正尚選手の豪快なホームランとタイムリーだった。
大谷選手が打席に向かうだけで、球場全体が息を呑む。普通であれば押し潰されそうなプレッシャーの中で、彼らは確実にバットで結果を出す。強靱な精神力。いかなる状況でも実力を発揮する肉体と技術。天賦の才能はもちろんだが、その才能を土台に積み上げられた日頃からのたゆまぬ鍛錬があってこそだ。ただ、驚愕するしかない。
そして選手たちだけではない。井端監督の采配もまた、見事という他なかった。メジャーリーガーたちから最高のパフォーマンスを引き出す打順の組み方、投手の継投、代走・守備交代の絶妙なタイミング。試合終盤、センターの守備に周東選手が入っていたこと。あの場面での好守備は、周東選手自身の非凡な能力はもちろんだが、あのタイミングで彼をあの場所に置いていた指揮官の眼力があってこそだ。選手と監督が噛み合って初めて、あの勝利は生まれた。
■ 「○○とハサミは使いよう?」AI戦国時代の歩き方
今、AI事業関連の案件が2件重なっており、AIの進化とその業務への応用、事業化について日々考えを巡らせている。
前回のブログで、メインの相棒を「Gemini 3.1 Pro」に乗り換え、「Claude」を併用していると書いた。直後にOpenAIから「ChatGPT 5.4」が発表され、「結局どれが一番なの?」と聞かれることがあるが、答えは単純だ。2026年3月現在、AIの世界に「圧倒的な絶対王者」は存在しない。
Gemini、Claude、ChatGPT。それぞれ全く異なる強みと適性を持ち、コミュニケーションの相性も使い手の好みも、モデルごとに違う。「どれが最強か」を追い求めること自体、すでに問いの立て方が古いのだ。
AI推進企業の中には、部下がAIの回答をそのまま上司に報告し、ツッコミを入れると「でも、AIがそう言ってるんで」と堂々巡りになるケースもあるそうだ。「AIに作らせた」と申告すれば、資料の精度の低さも容認されるような空気さえあるらしい。瞬時に生成される回答を、事実確認もせずに資料として提出してしまう。笑えない話だ。
先日、毒舌で知られる異端のAI「Grok」に「結局どれが一番なんだ?」と意地悪な質問をしてみた。すると「ガチの自動化ならChatGPT、丁寧な文章ならClaude、検索ならGemini。そして僕は本音トーク担当。だから一番は、君の使い方で決まる!」(原文ママ)とのご意見である。核心を突いた答えだと思う。
■ AIを「使う」から「指揮する」へ
ここ最近、「AIを育てる」という概念が浸透し始めている。日々の会話を蓄積させることで、AIがユーザーの性格を理解し、忖度し、主人が気に入りそうな回答をするようになる。かつて一世を風靡した「たまごっち」を、ビジネスレベルで育てているような感覚に近い。
しかし、AIを使い分け、複数のチャットを立ち上げていくと、厄介な問題が生じる。チャットルームを跨ぐと記憶がリセットされ、AIのキャラクターも微妙に変わってしまうのだ。「あれ、どのAIとその話をしたっけ?」と人間側が混乱し、「あんなに語り合ったのに覚えてないの?」と裏切られた気分になる。AIを使いこなすのも、なかなか一苦労だ。
最近、「部下は人間○人とAIたちです」と平気で言う人がいる。確かにAIは24時間文句を言わずに働く。だが、優秀な部下がいるだけでは、チームとしては勝てない。これからのビジネスパーソンに求められるのは、単に新しいAIに飛びつくことではなく、それぞれの「部下たち」の記憶の断絶をカバーしながら、適材適所に配置し、一つのチームとして機能させる「オーケストレーション」の能力なのだ。
昨日の韓国戦の終盤、周東選手をセンターに置いていた井端監督のように。最高の結果は、選手の能力と、指揮官の眼力が噛み合って初めて生まれる。自分が「監督」となり、AIたちをチームとして動かす——その視点こそが、今この時代に求められているのだと思う。
■ デジタルとアナログの間で
今回のWBCは、Netflixの独占配信が物議を醸した。地上波で見ることのできない不便さ、野球の裾野を拡げるということに逆行するのでは?など、巷では色々な意見が交わされている。
蓋を開けてみると、Netflixでの配信そのものは、私としては予想以上に心地よかった。何より、CMの入れ方に工夫があり、特にピッチャーの交代時など短い合間に、画面を分割して実況画面とCMが両方表示されることで、気持ちを切らすことなく観戦できるのだ。その結果、今までの地上波の中継と比べて「CM邪魔だなぁ」と思うような場面が比較的少なく感じた。地上波でこのような方法を取らないのは、技術的な問題よりも「スポンサーとの昔ながらの契約形態を守るため」、「放送法や民放連の放送基準という厳しいルール(番組とCMを明確に分けなくてはならない)の中で運営しているから」というのが実情のようだ。
Netflixのようなプラットフォームは、こうした「テレビの当たり前」に縛られない。
今後、時代の流れとともにテレビ放送でもこうした「2分割CM」が逆輸入される形で増えていくことも視聴者にとってはありがたい気がする。
とはいえ、芸能人を使った番宣を突っ込んでくるのは、しょうがないとはいえ興ざめであることに間違いはない。
さて、Xでは、「おじいちゃんがWBCを観たいというので実家に行ってNetflixをセットアップしてあげた。」とか「NetflixでWBCを観たいなぁと言ったら、とっくにサブスクしているから、すぐ観られるよ。と家族に言われた。いつの間に!」などという投稿を沢山見かけた。
AIがどれほど賢く進化しようとも、どんなにデジタルの時代になろうとも、アナログな部分、人間による選択と手続きが必要な部分は残っている。
いつの日か、それさえAIにとって代わられるの日が来るのだろうか。
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《今週の写真》足元の春
「もう、つくしも出てきているよ。上ばかり見ていないで、足元も見て?」
妻のその言葉に、朝のウォーキングの際、ずっと目線を落としてつくしを探しながら歩いたが、なかなか見つからない。

その代わりに、道ばたで春の使者たちと次々と出会った。足元では、誰も摘まないフキノトウがすっかり徒長していたり、ムラサキハナナの柔らかな紫が草むらに揺れていたり。
見上げれば、ミモザが澄み切った青空を背に金色の房を揺らし、黄色いサンシュユも沢山の花を付けていた。

「サンシュユ」。昔、中国から渡ってきた木で、赤い実は漢方薬にも用いられるという。早春、葉が開く前に黄色い小さな花の集まりが枝に咲く——。
知らずに通り過ぎていた木が、突然、由緒ある顔を持つ存在になった。中国から海を渡り、この公園の片隅にひっそりと根を下ろし、早い春を告げている。
サンシュユに限らず、身の回りの草花には中国原産のものが数多くある。自然はとっくに、外来も在来も関係なく、ひとつの景色として溶け合っている。
つくしは、今日も見つけられなかった。
それでも、妻の一言のおかげで、目線をほんの少し低くするだけで、こんなにも多くの命が動いていることに気づかされた。
春は声高にやってくるのではない。足元から、ひっそりと、しかし確実に。
2026年3月8日