■40.3度
先週この欄で、避難所となっている多くの体育館に冷房がない、と書いた。
7月28日の本震以降、熊本地方では猛暑が続き、8月3日には熊本市で40.3度を記録した。1890年の観測開始以来、県内で初めての酷暑日である。被害の大きかった甲佐町でも39.8度。片付けを中止せざるを得ない人もいたそうである。
8日午後6時時点で、県内の死者は39人。避難所には6,320人。水道の復旧は今月末までかかる見込みだという。先週36人と書いた死亡者数が、39人になった。増えた分には、災害関連死の疑いがある人が含まれている。倒れた建物の下ではなく、そのあとの日々の中で亡くなった人たちだ。
10年前の熊本地震では、地震そのもので亡くなった方が50人。避難生活の負担などで亡くなった方が217人。死者の8割は、揺れが収まったあとに亡くなっている。
震災は、終わっていない。
■突然の空白
8月8日の土曜日から、上海へ出張の予定だった。
が、台風13号の影響で全日空のフライトが前日午後にキャンセルになった。13号の動きと、東の太平洋の遥か彼方から近づいてきている15号の進路を睨みながら、12日からの便に急遽変更した。もっともその15号も、11日から12日にかけて関東に接近する見込みだということで、綱渡りの状況である。
出張に備えて諸々の業務を必死に片付けていたのに、後ろ倒しになったため、ぽっかりと数日予定が空いた形となった。まあ、仕事はいくらでもあるが。
この時間を利用して週末、井の頭自然文化園を訪れた。見たかったのは動物ではなく、1本の松である。
■削られたアカマツ
自然文化園の放飼場の外周。ヤクシカの解説板の脇に、その松はあった。園路の敷石が、この1本を避けるように曲がっている。

上部は伐られ、切り口が空を向いている「切株」である。幹の一面だけが樹皮を失い、内側が露わになっている。斜めの筋が、何本も規則正しく刻まれていた。
自然にできた傷ではない。刃物の跡である。自然文化園が開園したのは1942年5月。開戦から半年後のことだ。「動物園」という名を避けたのは、娯楽施設の印象が時節に合わなかったからだという。翌1943年、園内のホッキョクグマやラクダは殺処分された。同時期、園内のアカマツは樹皮を削られ、松ヤニが採られた。不足している航空燃料の代わりにするためだ。労力に見合わず、質も悪く、ついに実用には至らなかったそうだが。
刻まれた斜めの筋は、そのときの傷である。左右から樹皮が内側へ巻き込み、80年をかけて塞ごうとしてきた。しかし、80年を経てもまだ塞ぎきれていない。
■祈りの像
同じ園の奥に、彫刻館がある。
A館の中に、天井に届くほどの巨像が、銀色に光っている。長崎の平和祈念像。その原寸大の石膏原型だ。高さ9.7メートル。長崎の像は青銅で、青く塗られている。こちらは銀色。作者の北村西望は、鋳造される金属とは違う金属の色で石膏原型を塗る人だったという。理由は、残されていない。
右手は天を指し、左手は水平に伸びる。目は、閉じられている。
「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」。作者自身の言葉である。
北村西望、1884年、長崎の生まれ。長崎市から原爆犠牲者の記念碑をと相談を受けたとき、彼は記念碑では記録にしかならないと訴え、祈念像にすべきだと主張した。その巨像を造るために東京都から借りた土地が、この井の頭だった。1953年、ここにアトリエが建つ。土地を借りた返礼として、彼は全作品を都に寄贈すると申し出た。それが、いまの彫刻園である。
像の完成は1955年。除幕は8月8日。着工から4年、西望は70歳を過ぎていた。彼は戦前には、数々の軍人の騎馬像を手がけた彫刻家でもある。同じ手が、造っている。
像の前には多くの人が集まっていた。「井の頭平和祈念会」だという。この暑さの中に、喪服姿の方もいる。被爆者二世の方の講演があると聞いた。
■動物たちは
暑さのせいだろう、動物たちの多くは舎の中に引っ込んでいた。

その中で、ヤクシカとヤギ、そしてカピバラは平気な顔をしている。フェネックにいたっては、炎天下を軽々と跳ね回っていた。砂漠に棲む小型のキツネ(イヌ科)である。体は小さく、耳だけが大きい。

帰りに売店で、以前手に入れたものより大きなカピバラのぬいぐるみを買った。妻も8月生まれ。誕生日の贈り物にしよう。
■8月が来るたびに
遡って6日。マツダスタジアムの広島対巨人。カープの選手は全員、背番号86のユニフォームを着ていた。胸には虹色の「PEACE」の文字。
8月6日は「広島原爆の日」。8月9日は「長崎原爆の日」。81年前、この国に原子爆弾が落とされた。以来、世界のどこかで戦争が起き続けている。それでも、核兵器が使われたのは、いまも日本だけである。
そして8月15日が「終戦記念日」。正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」という。1982年の閣議決定で定められた名前だが、そう呼ぶ人はほとんどいない。
実は私の誕生日は、8月15日である。子どもの頃から、終戦記念日と同じ日だね、と言われ続け、複雑な思いを抱く日でもある。
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《今週の写真》一本の松
その木は、もう木としての形をしていない。上部は朽ち、伐られ、切り口が空を向いている。
それでも、残っている。残されている。
正面から見ると、左右から回り込んだ樹皮が、ハートの形に見える。その内側、剥き出しになった木部に、何本もの斜めの筋が走っている。
人の手が刻んだ傷である。
《今週の写真・番外編》臭牡丹

玉川上水沿いの遊歩道に、咲き残りの紫陽花かと思わせる花が咲いていた。近づくと違う。細い筒状の小花が半球にびっしりと集まり、雄しべが外へ長く突き出している。
調べて見たら「牡丹臭木」ボタンクサギというらしい。中国南部の原産で、向こうでは「臭牡丹」と呼ぶ。葉をちぎると独特の臭気があることからの名だが、花のほうは甘く香るという。
きれいな花なのに何だか可哀そうな名前だなと思っていたら、英名では「カシミアブーケ」ともいうらしい。
2026年8月9日