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躺平・・・很平的躺着?(寝そべり族) 寝そべる ・・・寝そべっていると? 2021.07.29 その他 by 赵琪(@北京)

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「躺平」(Tǎng píng )寝そべり族 

 最近、この言葉は突然若者の間で流行し出しました。しかし、この言葉の意味がどういうことかということより、より気になるのはこの言葉の背後にあるものが何なのかということです。例えば、なぜ若者は寝そべるのか、寝そべり方は?また、どのような背景のもと寝そべっているのか?そして、寝そべった後はどうするのか?

 実際この言葉は突然現れたわけではなく、その出現には興味深いストーリーがあります。

 2019年4月、阿里巴巴(アリババ)グループの総裁の馬雲は内部会議で「996」という考えを発表しました。「996。即ち、毎日午前9時に出勤し午後9時まで働く。週の内6日働くべき。」

 この「966」は社会的な議論を引き起こしました。議論は白熱し、法的な話にまで発展しました。馬雲は中国の有名なSNS「微博」にて、自分は「966」を推奨しているわけでは無く、若い人たちは若い時に自分自身を鍛え、よりよい機会を掴むことを望んでいるだけだと釈明しました。

 「996」が社会的に大きな議論を巻き起こしたにも関わらず、みんなの生活には特に変化はありませんでした。「996」の人々は、それぞれの夢のため、住宅や車のローンのため、もしくは、義理の母親(丈母娘,zhàngmǔniáng)からの圧力のため、様々な理由で「996」の生活を続けています。さらには、率先して「996」になる可能性のある仕事を探そうとしている人もいます。この大きな議論は他の一般的な出来事と同じように議論のはけ口の場を提供しただけですが、話題が人々の生活に身近だったこともあり、多くの人たちが参加することとなりました。

 2020年秋、一枚の写真がSNS(ネット)上で突然バズりました。

(引用元:百度)

 写真は、中国の著名な大学の学生がパソコンを開きながら自転車に乗っているところを写していて、ネット上で話題になりました。本人曰く、プログラムを終了していなかったため、プログラムが中断させるのではないかと心配になったそうです。

 ここに表れているのが「内巻」(Nèi juǎn)。もともと社会学上の専門用語でしたが、普通の人々の生活の中でも使われるようになってきました。

※「内巻」英訳はinvolution。日本語訳は、英語のインボリューションが外来語としてそのまま使われている。外向けの発展が限られた中で内的に独自の複雑化を遂げる状況を指した社会学上の用語。

 本来の意味は、特定の文化の様式が最終的な形態に進化した後、それを安定させる方法や新たな形態に進化させる方法も無く、より内部の変化を複雑に続けるしかないということです。仲間内で、より限られたリソースを求めて競争し、個人の「利益対努力の比率」の低下につながるという現象を指します。 それは勤勉の「インフレ」と見ることができます。

 例えば、映画館で映画を観ている場合(座席数に限りがあります)、前列の席がすべて埋まってしまったら、二列目に座らなければなりません。同様に、二列が埋まってしまったら三列目の席をなんとか確保しなければなりません。(より多くの努力をして仲間同志で競争することになります。)。 席さえ空いていれば、最終的には誰もが座って映画を楽しめることになりますが、より良い席を確保するためには、より多くの努力を払わなければならないということになります。

 実際、同じようなことは昔からよく言われていました。以前は、「あなたよりも優れている人」とか、「あなたよりも更に努力している人」という表現が使われていました。それに比べると、「内卷」(Nèi juǎn)は比較的単純で、それ故に広まりやすかったということです。

 大きな違いは、以前の「あなたよりも優れている人」はニュースの登場人物であり、普通の人たちの日常とはほぼ無関係でした。二ユースで見た時に多少羨ましいと感じるくらいです。けれども、「内卷」(Nèi juǎn)の対象となる人は、あなたの会社の同僚だったり、友人だったりするのです。そのような環境で、更なる努力をする必要があるのです。みんなが一生懸命働いているので、もし自分だけ頑張らなければ、それに対する追加の報酬が得らないことになってしまうのです。

 そのような状況で、若者は突然思い始めました。一生懸命120%の努力をしても、100%に対する報酬しか得られないかもしれないのに、なぜ120%を目指して努力をする必要があるのかと。100%の努力をして、100%を得られればいいのではないかと。無駄になるかもしれない努力はしたくない。そうした考えで生まれてきたのが、「躺平」(Tǎng píng )(寝そべる) という言葉だったのです。一部の若者は、「内卷」(Nèi juǎn)を拒否して、「躺平」(Tǎng píng )することを選択し始めたわけです。

 この言葉の発展の過程を見ると、「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)の意味は、ハードワークを完全に諦めて貧しい生活を送ることではなく、「現在の生活は満足できるレベルであるという前提の下で、欲求を適切に減らし、より生活を楽しむということ」であることがわかります。 例えて言えば、養殖されている魚は常に満腹でいることが前提で、泳ぐ速度がどんどん速くなって食べる量も増えます。そんな中、泳ぐのが速いために疲れている魚は、ゆっくり泳いでいると食べる量が少なくなることがあります。 そして彼らは空腹ではないので、減速することを選択するわけです。

 多くの若者が「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)を選択したとしても、彼らは一生懸命努力するということを放棄したのではありません。彼らは努力する方向を変えているのです。競争する領域や場所を変えて、努力に対してより多くの成果を得られるように変えているに過ぎないのです。

 以前は、ほとんどすべての若者が、北京、上海、広州、深圳などの一級都市に行き、より多くのお金を稼ぎ、夢を実現し、より良い生活をするために一生懸命働くことを選択していました。しかし現在、北京、上海、広州、深圳は若者にとって唯一の選択肢ではありません。杭州、天津、重慶、成都、西安、さまざまな省の首都などが、選択肢となっています。地方政府も より多くの才能を引き付けるために、有利な政策を実施しています。生活へのプレッシャーも少なく、家賃も安く、若者にとっては生活の発展の展望もより描きやすくなっています。

 もちろん、故郷に戻って「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)となることを選択する若者も増えています。これは、故郷に帰って老後を過ごすこととは異なります。彼らは、大都市で見たり聞いたり学んだり獲得したことなど、それぞれのイノベーションや情熱を故郷に持ち帰り、故郷の友人知人たちと故郷を発展させることに貢献しようとしています。こうした生活は、大都市での「内卷」(Nèi juǎn)ではなく、ひとつの「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)の形と言えます。

 いまだに競争の激しい巨大な業界に留まり、「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)を選択する人もいます。一方、成長が期待される新たな業界を選択する若者もいます。

 若者達は、今、自問自答しています。伝統的な業界に留まり「内卷」(Nèi juǎn)するか。それとも「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)した後に、好きなことをするために新たな業界に飛び出すか? それとも大都市に残り「996」の生活を続けるか、地方都市に行って「躺平」(Tǎng píng )(寝そべり族)なリラックスした生活を目指すか。

翻訳:夏目遥

by 赵琪(@北京)

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