Ⅴ.ローカル人材の流出と組織の硬直
在中の日系企業では「日本側主導+中国側実行」という管理枠組みが一般的である。中枢の要職は本社からの駐在員が多数を占め、中国人スタッフは層として厚いのに、戦略立案や重要意思決定に参画する機会が乏しい。本社は中国市場への深い理解を欠きがちで、意思決定は多段の稟議に依存し、プロセスは鈍重で、市場の急変に応じきれない。
問題は「ローカルが市場を知らない」ことではない。本社の決断が遅く、何事も日本本社への報告と了承が不可欠で、フィードバックが戻る頃には機会の黄金期を逸している、という構図である。
同時に、年功序列に重きを置く昇進制度は、若くデジタルに明るい中核ローカル人材の惹きつけを難しくしている。対照的に、中国ローカル企業や欧米系多国籍企業はよりフラットで若返った組織を持ち、インセンティブ設計も競争的だ。結果として、中国の優秀な人材にとって日系は「理想の雇い主」ではなくなりつつある。
人材の流出は遂行力の低下にとどまらず、中国市場でのブランドの感度と機動力をも直撃する。ローカルな視座とスピード感を欠く組織は、今の消費環境で立ち位置を保つことすら難しい。
Ⅵ.技術優位の周縁化とイノベーションの鈍化
日本企業は精緻なものづくりで知られ、基盤技術・品質管理・工程設計などに深い蓄積を持つ。自動車部品や化学材料、工作機械やセンサーに至るまで、日本はなお世界の先頭集団にいる。だがその強みはB向けの製造・産業領域に偏在し、C向けの製品イノベーションや体験設計では、日系は次第に周縁へ押し出されている。
スマート化・電動化・デジタル化の潮流のなか、中国企業はソフト/ハードの融合、UX最適化、AIインテリジェンスなどで大きく前進している。これに比し、日系は技術の選択肢で保守的に見え、リスクをとりにくい。新製品を出しても「エンジニア思考」に偏り、市場の熱量やユーザー行動を素早く取り込む仕組みに乏しい。若い消費者の注意を掴み切れていないのだ。
さらに、一部の企業はグローバル統一標準に過度に依存し、中国市場に合わせたカスタム型の創意工夫がしづらい。たとえばコスメでは、日本ブランドはしばしば「清新・ミニマル・ナチュラル」という母国由来の美学を踏襲するが、中国の消費者は「映えるパッケージ」「コラボ限定」「IPタイアップ」といった情緒的な接点を生むデザイン言語をより好む傾向が強い。
このイノベーションの鈍さの根には文化的要因もあるが、内部の仕組みにも深く結びつく。研究開発から上市までのリードタイムが長く、承認段階が多く、許容誤差の幅が狭い—そのため「スピードで競る」「ヒットを量産する」中国市場の土俵では、取りこぼしが続く。
Ⅶ.戦略的縮小と撤退志向
競争激化と収益圧力に直面し、2024年以降、多くの日系が自発的または受動的に戦略縮小を選択している。典型例として、ユニクロの親会社ファーストリテイリングは東南アジアと北米を重点に据え、中国での出店拡大のペースを抑える方針を示した。ホンダと日産も相次いで中国での従来型ガソリン車の生産能力を縮小し、軸足をハイブリッドや輸出へ移すとした。
表面上は合理的な資源配分とリスクコントロールに見える。だが実のところ、この縮小志向の背後には、中国市場の将来への自信の欠如と、自らの変身能力への逡巡が透ける。業界関係者の中には、急変する中国市場を前にした一部の日系は「洪水に直面した人のように立ちすくむばかりで動けない」と評する声すらある。
注意したいのは、こうした“じわじわ引く”動きが、ブランドの存在感を容易に薄めてしまうことだ。いったん認知やリピート(ロイヤルティ)が落ちると、主流に戻るのは一段と難しくなる。ソニーのテレビやキヤノンのデジタルカメラは、マス市場から徐々にニッチへ重心が移った例としてしばしば挙げられる。
Ⅷ.結び—反転の条件
中国市場で日本企業が直面している苦境は、孤立した出来事ではない。世界の製造業版図の再編、地政学的秩序の変容、中国ローカル市場における消費課題の高度化—これら複数の要因が折り重なって集中的に顕在化した結果である。これは日系だけの問題ではなく、中国で事業を行うすべての外資が共に向き合うべき新たな挑戦だ。かつて有効だった「標準化したグローバル横展開」「本社決定・現地実行」という作法は、いま徐々に効力を失いつつある。今日の中国市場が重んじるのは、反応速度、ローカル理解、そしてユーザーとの結びつきであり、その歩調についていけない企業は周縁化を免れない。
もっとも、情勢が厳しいとはいえ、道が閉ざされたわけではない。過去の荷物を下ろし、過度に保守的なマネジメント文化を脱ぎ捨て、現地チームに真に裁量を与え、意思決定の鎖を短くする—さらに、コンテンツ・マーケティング・ユーザー体験の各面で素早く試行錯誤し、深く統合していけるなら、次の10年においてもなお、趨勢を反転させてイメージを再構築する余地は残されている。
新エネルギー車の中核部品、半導体製造装置、高度な精密製造プロセスといった幾つもの要所で、日本は依然として世界最先端、時に代替不可能な技術優位を持つ。こうした「ハードテック」こそが、日系がこれから反転攻勢に出るための重要な資本である。
苦境の底には、しばしば転身の好機が潜む。技術優位を保ちながら、体制と思考様式をどう再構成するか—その成否が、変化のただ中にある中国へ日本企業が真に溶け込めるかどうかを決める。
歴史が示すとおり、困難な時こそ、自己を鍛え直し、逆風下で巻き返す最良の時機である。
参考文献・出典
- 【注1】JETRO『2024 Survey on Business Conditions of Japanese Companies Operating Overseas(Asia and Oceania)』p.56 “Monthly Base salary(mean)”—China(Manufacturing, Worker:USD1,245 ≒ 約9,000元/2024年8月時点の平均為替換算)。
- 【注2】Reuters “Fukushima wastewater released into the ocean, China bans all Japanese seafood imports”(2023/8/24)ほか関連報道。中国国内での不買・棚下ろしや日本食店への影響にも言及。
- 【注3】MarkLines(乘联会=CPCAデータ要約)「2024年6月:日系ブランドシェア14.3%」/「2024年12月:同13.4%」。月次実績から低下傾向を確認。
- 【注4】Bestsellingcarsblog “China wholesales Full Year 2023: BYD Qin Plus surges to #2, Nissan Sylphy slips to #4”(2024/01)。
- 【注5】Xinhua “Transformative AI makes Chinese automobiles smarter”(2024/05/14)。
- 【注6】WIPO “Global Innovation Index 2024—China country page / ranking(11位)”。
