スタッフエッセイ

私の中国見聞録③ 春節の旅(1) 2021.08.10 スタッフエッセイ by 板橋清

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 北京に留学に行くと、春節休みをどう過ごすかが大きな問題になる。春節周辺の1週間ほどは北京から人が出払って、お店なども閉まるところが多くなる。中国人学生の大半は実家に帰るから、遊ぶ友達も減ってしまう。だから多くの留学生はこの時期、旅行に出たり日本に帰ったりして、北京から離れることを選ぶ。

 私は留学中、北京大の友人の実家にお邪魔して春節を過ごした。彼の故郷は四川省・綿陽。詩人・李白や宋代の大学者・欧陽脩のゆかりの地であり、また2008年の四川大地震で大きな被害を受けた場所でもある。

 私は春節直前、その友人たちと一緒に新疆ウイグル自治区を旅行しており、綿陽まではウルムチから鉄道で2晩かけて移動した。春節の時期の交通輸送のことを中国語で「春運」という。膨大な数の中国人がその時期一斉に帰省するのだが、私たちの移動はまさしくそれに当たってしまい、汽車の中は人でごった返していた。北京から地方に下るよりはマシだろうと油断していたのだが、ウルムチも小さくない都市だから、四川の田舎から出稼ぎに出ている人も多い。途中の甘粛省蘭州などでも多くの四川人が乗り込む。彼らが一斉に故郷を目指すから、汽車の中ではあちこちから四川方言が聞こえた。

 私たちが乗ったのは「硬坐」と呼ばれる最下級の座席で(日本風にいえば「二等車」)、寝る場所などはあるはずもないから、2晩を狭い座席に座ったまま過ごさなければならない。最後には頭が朦朧とするくらいきつかったけれど、旅の高揚感と「これも若いうちしかできない体験だ」という思いで、何とか最後まで持ちこたえた。

 昼間のうちは友人と「闘地主」というトランプゲーム(日本の「大富豪」のようなもの)に興じながら過ごしていたが、途中から隣の乗客があれこれと口を挟んできた。どうやら打ち手が悪いとか、どのカードを出せば勝てるとか、そういうことを言っていたようだが、方言だから何を喋っているのか全く聞き取れない。すると四川出身の友達は、何気なく方言に切り替えて彼に応対した。今までずっと普通話(中国語の標準語)で交流してきた友人が突然知らない言葉を話しはじめるのを見て、私は少なからず驚いた。そうか、彼が最初に覚えた言葉は普通話ではなく、この僕には聞き取れない言葉だったのだ。それは彼の知らない一面を覗いたような、何だか不思議な感覚だった。

 中国では地域によっては方言の違いが外国語ほどに大きく、違う地域の出身者どうしでは普通話でなくてはコミュニケーションが取れないレベルである。四川方言は、そうはいってもかなり普通話に近い方なのだが、やはり私くらいの中国語レベルではなかなか理解できない。現代日本で暮らしていると、多言語的な状況で育つ感覚はなかなか想像しにくいけれど、中国では私と同世代でも方言と普通話を自然と使い分けて生活する人がたくさんいるのだ。

 長旅を終えて綿陽に着くと、彼の両親が迎えてくれた。お父さんが僕たちに近づき、笑顔で何かを喋りかける。「いらっしゃい、よく来たね」というようなことを言ってくれているのは分かるが、やはり方言なので聞き取れない。「父さん、普通話で話せよ。そんな言葉彼らには分かんないよ」。友人が父親に言う。結局、彼の家族の話す言葉は聞き取れないことが多く、しばしば彼に通訳をお願いすることになった。

 大事な一人息子で、しかも狭き門をくぐり抜けて北京大学に入った自慢の子供だから、お母さんは彼のことが可愛くてしかたがないらしい。家に迎えるなり、満面の笑みを浮かべて我が子を強く抱きしめる。息子の方はといえば、「うざいなあ、母さん」と跳ね除けてさっさと自分の部屋に帰ろうとする。その姿がおかしくて、私は思わずニヤニヤしてしまった。やはり一緒に旅をすると、友達の知られざる一面がたくさん見えてくる。これから始まる数日間の綿陽滞在がますます楽しみになった。

(次回に続く)

by 板橋清

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