政策研究大学院大学篠田邦彦教授にお話をうかがう第2回。
今回は、経済安全保障面から見た日本企業とアジアについて、そこからお話を進めていきます。
【特別企画】社長対談 ゲスト 政策研究大学院大学 篠田邦彦教授
役職:教授、参与(政策研究院)
学位:米国カーネギーメロン大学産業経営大学院(GSIA)で修士号を取得
専門分野:通商政策、国際経済政策
現在の研究対象:アジア経済、アジア地域経済統合、インド太平洋協力
1988年に通商産業省(現在の経済産業省)に入省後、APEC室長、資金協力課長、アジア大洋州課長、通商交渉官等を歴任し、主としてRCEP等の経済連携協定交渉やASEAN・中国・インド等との経済・産業協力の業務を担当。また、在フィリピン日本国大使館、海外貿易開発協会バンコク事務所、石油天然ガス・金属鉱物資源機構北京事務所、日中経済協会北京事務所などアジアでの勤務経験が長い。2019年より政策研究大学院大学に出向し、2022年に政策研究大学院大学教授に就任。アジア経済、インド太平洋協力等の研究・教育に従事。
デカップリングの危機について
ー 須毛原
ロシアのウクライナ侵攻があって、いや本当にこんなことが起きるんだなと。そんなことが起きると次に台湾有事が起きてもおかしくないなと世の中的には思ってしまいます。アメリカと中国の関係も、今ちょうどブリンケン国務長官が中国に行くと言っていますが(※ブリンケン国務長官は、この対談の直後6月18~19日に訪中し、習近平国家主席や、王毅・共産党中央政治局員、秦剛・国務委員兼外交部長と面談を行った。米国務長官の訪中は、トランプ政権下、2018年のマイク・ポンペオ長官(当時)以来。)なかなか難しい状況で、デカップリングとかそういった話もよく日本企業の方が口にします。日本企業の方々は中国に対してあまり肯定的ではありません。日本のメディアを読んでいると不安材料が多く、特に習近平主席が3期目に入ってから本当にデカップリングが起きるのか、日本企業はどうしたらいいのかという声をよく聞きます。
一方で、3月にはアップルの社長のティムクック氏が中国へ行ったり、テスラとスペースXのCEOのイーロンマスク氏が行ったり、エヌビディアのジェンスン・フアン最高経営責任者(CEO)も行ったと聞いています。(※さらにこの対談の翌日6月16日には、マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏が北京を訪問し習近平国家主席と会談。)そういったアメリカ企業のトップがどんどん訪中し中国政府の歓待を受けている中で、日本企業はどうしたらいいんだと。その辺はいかがでしょうか。簡単に言うのはなかなか難しいことかと思いますが。
ー 篠田
実際デカップリングが起きている分野が広いかと言われるとそう広くはないのではないかと思います。半導体については去年10月にアメリカが特に先端半導体と半導体の製造装置の輸出管理を強化し、日本も今年になって半導体製造装置の輸出管理を強化していますが、一般的に20ナノ以上の汎用半導体や、その製造装置、それから材料については依然として中国に対して輸出ができているわけです。その他気をつけなければいけない分野としては5Gのような重要新興技術だとかデジタルプラットフォームなどがあります。それから最近では、欧米諸国の間で、特に蓄電池や重要鉱物のサプライチェーンを強靭化してサプライチェーン途絶のリスクに備えることをしなければいけないという話が出ていますが、それ以外の汎用的な製品や部材については従来通りビジネスが続いています。米国の産業界関係者も、「安全保障に関係のない95%の貿易産業は関係が継続している」と述べていますし、アメリカのサリバン大統領補佐官も「ハイフェンス、スモールヤード」ということで、輸出管理などを強化する分野はできるだけ分野を狭めて、そこの敷居は高くするけれどそれ以外の分野では自由に取引ができるようにすべきだという話をしています。そういう中で日本企業は萎縮する必要はないと考えていまして、確か2020年11月に当時の梶山経済産業大臣が「日本企業において、国際動向を把握するための所要の体制を整備し、自社サプライチェーン上のリスク把握を行いつつも、過度なビジネスの委縮は避けることが望ましい。仮にサプライチェーンの分断が不当に求められるようなことがあれば、経済産業省は全面に立って支援をしていく。」といったような話もしていたかと思います。
ー 須毛原
おっしゃる通りだと思います。メディアの情報や雰囲気に踊らされるのではなく、自分たちがやっている事業や作っている製品に関して政府がどういった規制を実際にしているのかということをきちんと把握し、是々非々で丁寧に事業を進めていくことが大事であると思います。
経済安全保障面で備えることはできるのか
ー 須毛原
安全保障面では、東アジア問題や台湾有事などありますが、誰も答えを持っているわけではありません。お客様からこのあたりに関してよく質問をされるのですが、それに備えるといったことは具体的には難しいでしょうか。やはり、サプライチェーンを分散するとか、そういったことになりますか。
ー 篠田
最近サプライチェーンの強靱化ということが様々な国際フォーラムで非常に重要な議題になっています。今ご指摘の通り、このサプライチェーンの強靱化を進めなければいけない理由として、米中の戦略的な競争、ロシアのウクライナ侵攻などの地域紛争、世界的な疫病の流行以外にも、例えば人権問題だとか環境問題で、サプライチェーンの上流に至るまでデューデリジェンスを進めなければならないということがあります。
そうした中で、サプライチェーンの強靭化というのはいろいろと手段がありますが、政府レベルでいうと例えばサプライチェーンの強靱化のための原則だとかガイドラインを設けています。企業レベルの取り組みで言うと、中国に進出した企業が、チャイナプラスワンで他のASEANの国に生産拠点を移転させたり拡大するなどサプライチェーンの多元化の動きがあります。あるいはサプライチェーンのビジュアライゼーション、いわゆる可視化も重要です。サプライチェーンの上流から下流まで、最初の部品材料から最終的に加工に至るまでどのように物が流れていて、どこでサプライチェーンが途絶しているかというようなことをきちんと把握して対策を打つといったことが行われています。加えて、より安全保障に近い話で言うと、輸出管理を強化したり、あるいは機微技術に関するインテリジェンスを強化したり、特に重要新興技術については有志国の間で共同開発をするなどの取り組みが行われています。
なお、RCEPやCPTPPなどの地域経済統合だとか地域協力の枠組みというのは、政府だけやっているわけではなく、最終的にはそれを活用して産業界が地域に幅広いサプライチェーンネットワーク構築をしたり、各国との貿易投資を活発化させるということが重要で、そのためには産業界の方からも協定をアップグレードするために様々な要望などを出すのがいいと思います。特に自由貿易協定の場合、大企業は多く利用していますが、中小企業の利用率は、ジェトロなどの調査でも40%ぐらいしかないので、中小企業もきちんと利用していけるような、そういう支援を行っていくことが大事だと思います。
魅力的だが一癖ある?巨大市場・中国
ー 須毛原
安全保障の問題などいろいろな側面はあるものの、やはりGDP世界第二位の巨大なマーケットを持つ中国とは付き合っていかなくてはならないだろうというのが私の考えですが、この点についてはどうお考えでしょうか。また、今後も関係を持ち続ける場合、どういったところを注意すればよいのか、先生のご経験を踏まえてアドバイスいただけますでしょうか。
ー 篠田
日本企業にとって中国の魅力というのは、巨大な市場、また、今後どうなるかはわかりませんが比較的高い成長力ということです。今後起きるトレンドとしては従来のようなモノ消費に加えていわゆるコト消費、サービス消費の拡大だと思います。具体的に言うと従来は自動車のような耐久消費財などが日本企業にとって魅力的な市場だったわけですが、例えば文化、教育、レジャー、外食などのサービス分野での市場開拓というものは選択肢としてあります。2番目としては、BtoCだけではなくBtoBという世界でいうと、社会課題解決型のビジネスというものは有望ではないかと思います。例えば環境問題で言うと、気候変動対策だとか、大気水質汚染の対策それから循環経済、いわゆるリサイクルですね。あとは少子高齢化、医療介護問題の解消など。
ー 須毛原
介護の分野は以前から結構注目されていてそれこそJETROなどでもいろいろサポートされていると思いますが、なかなかうまくいってないような印象を持っています。
ー 篠田
そうですね。介護の場合だと、介護関係の機器を売り込むのと同時に、やはり介護施設などのソリューションなども提供するというのはあると思います。やはり日本と中国の介護に対する考え方の違いだとか、そういったものを踏まえた上での現地にカスタマイズされたサービスを行っていくことが大事だと思います。
それからあともう一つ重要な分野として、いわゆる対日のインバウンドのビジネスです。一時中国の訪日観光客の数が1000万人近くまで増えてその後落ち込みましたが、コロナ禍が収まって人的交流が復活すれば、やはり中国の沿岸部の富裕層を中心に、日本の東京や大阪といった大都市だけではなく地方都市なども最近訪問しているということで、日本で物を買ったりあるいは様々なことを体験したりすることを通じて中国に日本の文化の良さをわかってもらうと同時に、様々な消費の拡大、地方の活性化にも繋げていくことができればと思います。
ー 須毛原
まさにおっしゃる通り2019年ですよね。中国からの訪日観光客が年間1000万人近くになって、私の中国人の友人もリピーターが多く、ひと昔前のゴールデンルートの東京、箱根、大阪から、北海道、九州、最近は石川県、福井県とか、訪問先も広がっています。
ー 篠田
そのように日本で消費をすることによって、中国に戻った後、そこでの日本の外食サービスの利用拡大に繋がるかもしれません。また、昔は日本に来て爆買いなどと言いましたが、気に入った商品を越境電子商取引でまた中国で取り寄せるといったような、単に1回のみの消費だけではなくて、ずっと持続的に進むような商品が多く出てくればいいなと思います。
ー 須毛原
一方で、日本企業にとって中国企業と関わる上で何か難しさはありますか。先生が実際に苦労されたことや、こういうところは日本企業もちょっと気をつけた方がいいよといったことはありますでしょうか。
ー 篠田
これは多分政府の様々な規制だとか制度が障害になっているという部分と、むしろBtoBで事業をする上でご苦労されていることと、二つあるかと思います。
GtoB、政府の規制の話でいうと例えばいわゆる制度の予見可能性を向上してほしいというような要望はよく出されていて、外商投資法だとか、サイバーセキュリティ法、輸出管理法、そういったものが事業の妨げになるのではないかというような話があります。それから政府の間で特に問題になったのは強制的な技術移転だとか知的財産権の保護だとか、あと国営企業に対する産業補助金の問題、あと国産品の優遇策例えば政府調達。そういったところがあるかと思います。それから、国と地方とで具体的な政策や規制が違っていて、なかなかその地方でうまく政府の認可を得ることができないとか、あるいはパートナーを選ぶときに、相手のパートナー企業が必ずしもビジネスの目的に沿っていなくてうまくいかないとか。また、中国だと結構頻繁に規制が変わったりするというような問題もあるかと思います。
もう一つあるのはやはり政治面での影響を受けやすいということです。実際自分自身が中国に駐在した2012年から17年の最初の頃、日中関係が悪いときは日本企業がいろいろとボイコットにあったり、不買運動が起きたり、そういった問題がありましたし、あとは日中関係だけではなくて米中の競争関係の中で、日本企業が板挟みになってビジネスで苦労するというような話もあると思います。
安倍政権下で大きく動いた日中関係の今後
ー 須毛原
話は変わりますが、2017年から2018年にかけてだと記憶しますが、当時の安倍政権下で、中国との関係が大きく動いた時期がありました。
ー 篠田
あのときの流れとしては、2017年の5月に中国で一帯一路の国際協力フォーラムがあり、自民党の二階幹事長が安倍総理の親書を携えて中国を訪問し、そこで日本の質の高いインフラ投資の取り組みとの連携を進めていこうという話になりました。それから1年ぐらいの間に経済産業省が中心となって第三国におけるインフラ整備に加え、社会課題解決ビジネスや、それを支えていく貿易投資、金融・保険の官民協力をまとめて52件のMOU(覚書)を結びました。今年二階日中友好議連会長が中国を訪問し、また年後半に中国で一帯一路国際協力フォーラムが開催される予定と聞いています。去年11月のAPEC首脳会議の時に、岸田総理と習近平国家主席が首脳会談をし、今後、閣僚レベルの日中ハイレベル経済対話を早期に開催し、具体的な実務的な協力の話をしていこうという流れにはなっています。第2回の第三国市場協力フォーラムが将来また日本で行われる可能性も出てきているのかなと思います。
経済安全保障面では難しい判断を迫られることも多くありますが、その中でも政府のガイドラインやさまざまな地域協力の枠組みなどの状況を客観的にとらえ、それぞれの企業が事業を丁寧に進めていくことが大切です。
次回は、アジア太平洋地域、アフリカまで視点を広げお話をうかがっていきます。