社長エッセイ

社長の日曜日 vol.66 8月が来るたびに 2024.08.19 社長エッセイ by 須毛原勲

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 非常に強い台風7号が16日に関東地方に最接近したことに伴い、気象庁からの情報に基づき東海道新幹線は全線で運転を見合わせ、飛行機も多くの便が欠航となった。16日の朝は暴風雨が予想されていたが、我が家の周辺では実際には多少の雨が降った程度で大きな被害が無かった。立秋を過ぎ、暦の上では秋だが、暑さはまだまだ続きそうである。

 遡って8日には、宮崎県日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。日南市では最大震度6弱が記録され、これは1984年以来の規模とのこと。この事態を受け、気象庁は南海トラフ地震に対する臨時の警戒情報を発表し、政府は地震発生から1週間の強い警戒を呼びかけた。

 呼びかけの期間は8月15日午後5時に終了したが、この「1週間」という期間には何の科学的根拠は無く、過去にも地震発生後に時間差で大規模な地震が発生した事例がある。我が家でも避難場所の確認を行い、妻が防災バッグの中身の確認をし、古くなった電池を交換したり、賞味期限切れの保存水や常備薬を新しいものに買い換えたりしてくれた。

 昼間は猛暑。各地で線状降水帯の発生、突然の土砂降り、雷の発生と目まぐるしく天候が変化する。17日は東京でも38度を記録し、昼間、近所のコンビニに出かけた際の強い日差しには、中東のドバイやサウジアラビアで感じた暑さを思い出す。日本はどうなってしまったのだろう。

 8月は平和を願う行事が続く月である。8月6日は1945年に広島市にアメリカ軍が原子爆弾を投下した日であり、9日は長崎市にアメリカ軍が2度目の原子爆弾を投下した日である。それぞれの日には平和祈念式典が開催され、犠牲者を悼みつつ、核兵器のない平和な世界を訴える行事が行われている。

 8月15日は終戦記念日。1945年、79年前のこの日に昭和天皇がラジオ放送で日本の無条件降伏を発表し、太平洋戦争(第二次世界大戦のアジア・太平洋地域での戦争)が終結した。あの戦争での日本人死者数は310万人(軍人が230万人、民間人約80万人)とされている。どれほど激烈な戦争だったのか、想像を絶するものがある。日本では、8月15日を戦争の犠牲者を追悼し平和への願いを新たにする日として位置付け、各地で様々な祈念行事が行われている。

 8月は我が家にとっても、いろいろな日が重なっている月である。妻の誕生日、妻の母の命日、私の母の命日、息子の誕生日、兄嫁の誕生日、亡くなった母の誕生日。そして、自分の誕生日は実は終戦記念日の15日である。それぞれの日に様々な思い出や想いが蘇る月である。

 雑誌「ナンバー」のパリ・オリンピック特集号で、やり投げの北口榛花選手が日の丸を背中にかざしている写真が表紙を飾っていた。17日間のパリ・オリンピックはあっという間だった。

 男子サッカーでは南米の強豪パラグアイを撃破。その後、ベスト8で日本が敗れたスペインが優勝した。女子サッカーもアメリカ相手に最後まで善戦するも一瞬の守りの隙に取られたゴールで負けてしまった。そして、そのアメリカが優勝した。角田夏実選手の巴投げの笑顔の金メダル。阿部一二三選手の2大会連続金メダル。81㎏級で五輪史上初となる2連覇を達成した永瀬貴規選手。ルーレットがフェアじゃないと物議を醸した柔道団体戦はまたしてもフランスに敗れてしまった。体操男子の悲願の団体戦金メダル。若干20歳の新エース岡慎之助選手は五輪の全競技を通じて日本人52年ぶりとなる金メダル3個獲得だそうだ。フェンシング男子エペ個人の加納虹輝選手の金メダル。そして、フェンシングフルーレ団体でも銀メダル。日本のフェンシングっていつの間にこんなに強くなったのだろう。ゴルフの松山英樹の銅メダル。最終日、ノーボギーのゴルフにはしびれた。スケートボード男子ストリートの堀米雄斗選手が、メダル圏外からラストトリックで最高得点をマークしての大逆転で2大会連続金メダル。スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋選手は14歳。ブレイキン初代女王となったAMIの金メダル。優勝決定の瞬間をライブで観たが、正直どっちが勝ったのかよく分からなかったけれど、格好いいことは分かった。男子高飛び込みの日本人初メダル、玉井陸斗選手の銀メダルは、金メダルの可能性を秘めたものだった。驚異的な強さを見せたレスリング・ニッポン。男女合わせて8個の金メダルを獲得した。あの吉田沙保里選手の公式戦119連勝を超える137連勝で新霊長類最強女子の称号を得た藤波朱理選手、櫻井つぐみ選手、元木咲良選手、鏡優翔選手、文田健一郎選手、日下尚選手、樋口黎選手、清岡幸太郎選手、皆強かった。卓球女子団体はまたしても決勝で中国に敗れたが、2大会連続銀メダルを獲得。利き腕の左手を負傷しながらも激闘した日本のエース早田ひな選手の姿には感動した。4年後20歳となる張本美和選手が成長して宿敵中国を破ることに期待したい。オリンピックの前から楽しみにしていたやり投げの北口榛花選手が期待通り金メダルを獲得してくれた。日本女子フィールド種目初の金メダル獲得である。マイナーと思われたやり投げの選手がパリ・オリンピック特集の「ナンバー」の表紙を飾っている。彼女の功績はとても大きい。最後は女子マラソン、鈴木優花選手の激走で終わった。アップダウンの大きい難コースと言われたパリの街並みを駆け抜けるコースで、アフリカ系の選手と肩を並べて最後まで激走した姿をずっと観ていた。メダルには届かなかったが、その粘り強い走りに感動した。

 金メダルを獲得し、喜びを爆発させる選手たちの横で、夢が叶わず打ちひしがれる選手もいる。一点の重みに屈した男子バレー。兄妹でのオリンピック2連覇を目指した阿部詩選手の号泣は、シャン・ド・マルス・アリーナに響き渡った。また、白血病を克服して東京五輪にリレーの一員として復帰し、今回のパリ・オリンピックでのメダル獲得を目指した池江璃花子選手がプールサイドで立ち上がれなかった姿は忘れられない。

 日頃からスポーツ観戦大好きな私にとって、たまらない17日間だった。勝利して喜びを爆発させている選手たちには勇気づけられ、敗戦の涙を流す選手の姿には努力の重みを感じさせられた。時折、テレビに映し出させるパリの街並みも美しかった。

 8月はさまざまな記念日が重なる月であると上述したが、当社の設立日も8月7日である。

 2020年8月7日に創業してから早いもので4年が経過し、この8月からは5期目が始まった。これまでの間、多くのお客様との出会いに恵まれ、事業は順調に成長を遂げてきた。設立当初から継続してご支援を頂いているお客様との関係もあれば、予想外の出会いが新たなビジネスへと発展することもあった。成功すると思われた取り組みが思うようにいかなかったことも少なくないが、4年間の経験を経て、未だに新しい挑戦を望む気持ちは増すばかりである。5年目は、さらに多くの新事業に挑戦し、積極的に事業を拡大していきたいと考えている。

 8月は、いつも走り続けている自分が一旦立ち止まり、過去の学びから今後を考える、そんな月になっている。

 

8月18日

by 須毛原勲

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