わたせせいぞう氏プロフィール
1945年 兵庫県神戸市生まれ、北九州小倉育ち
早稲田大学法学部を卒業後、サラリーマンとして働く傍ら漫画制作を開始。
1974年、『ビッグコミック』第13回コミック賞で入賞したことをきっかけにプロの漫画家として活動を始める。
1983年に連載を開始した『ハートカクテル』で一躍人気作家となり、大人の恋愛の機微を描いた作品で多くの支持を集める。
2020年より「ビッグコミック増刊号」(小学館)にて、京都を舞台とした「なつのの京」を連載中。
また、音楽ジャケット、企業広告、雑誌など、幅広い分野で多数のイラストを手がける。
現在、北九州市漫画ミュージアム名誉館長を務める。
- Vol.1「画業50周年に振り返ることはしない」
- Vol.2「日本の色への旅とクリエイティビティについて」
- Vol.3「わたせさんとの出会い、この先の作品は・・・」
ー 須毛原
『社長対談』今回のゲストは、漫画家のわたせせいぞうさんをお迎えいたしました。
わたせさんの代表作といえば、『ハートカクテル』(1983年~1989年)や『菜』(1992年~1998年)、『菜~ふたたび~』(2007年~)など、どれも多くのファンを魅了してきた名作ばかりです。昨年には、NHKで『ハートカクテル カラフル』として新たにアニメ化され、大きな話題を呼びました。
声優には、わたせさんの大ファンであることを公言している亀梨和也さんと満島ひかりさんが起用されています。さらに、先日テレビ東京の「新・美の巨人たち」でも、わたせさんの特集が放送され、改めてその作品の魅力が紹介されました。
現在も「ビッグコミック増刊号」にて『なつのの京』を連載されるなど、精力的に活動されています。また、わたせさんの作品は多くのCMにも使用されており、最近では、JR東日本の「大人の休日倶楽部」の広告でわたせさんのイラストが採用されています。多くの人がどこかでその美しく印象的なイラストに触れていることでしょう。
本日は、画業50周年を迎えられた今なお新しい作品を生み出し続けていられるわたせさんに、さまざまなお話をお伺いしたいと思います。
画業50周年に思うこと
ー 須毛原
わたせさんは、今年で画業50周年という大きな節目の年を迎えられました。改めまして、画業50周年おめでとうございます。この記念すべき50周年に各地で展示会を開催され、大変なご盛況だったと伺っております。5月東京、7月広島、9月富山、そして10月には神戸で展示会が行われ、いずれも多くのファンが足を運ばれたそうですね。
私も、5月に大丸東京で開催された展示会にお邪魔させていただきました。会場には多くの『ハートカクテル』のファンが訪れ、わたせさんの作品への愛情と感動が溢れている様子がとても印象的でした。
画業50周年を迎えられ、さらに各地での展示会でお忙しい日々をお過ごしかと思いますが、改めて今の率直なお気持ちをお聞かせいただけますでしょうか。
ー わたせ
画業50周年を振り返ってどうですか?とよく質問されますが、僕は振り返るよりも、もう明日の絵のことを考えています。振り返るっていうのはまだまだずっと先のことかもしれません。振り返る時間があったら、次に何を描きたいかに向かっています。
この画業50周年というのは僕が1人でやったものでなくて、この50周年の積み重ねというのは『ハートカクテル』の時代からのファンがいたり、それからまた最近ファンになったという方がいたり、そのファンがずっと僕を10年20年30年、育んできてくれたと思っています。
ですから50周年とは僕のファンが盛り立ててくれ応援してくれた50周年でもあると思っていますから、それに応じてやはりファンが飽きないように毎日、毎回毎回絵を見て新しいなと感じてもらえるようなものにしなくてはならない。それに腐心していますから振り返るよりも明日の皆さんに喜ばれるものは何だろう、何かアイディアないかなっていうことで模索していますね。
ー 須毛原
なるほど。
私も今回『ハートカクテル』などの昔の作品から最近の作品まで改めて読ませていただいて、わたせさんの作品はどんどん変わられていることを実感しました。新しい作品を読ませていただくたびに、作品のトーンを維持しながら全く新しいもの、といった感じを受けています。そういったところは、ファンとしては非常に嬉しいところです。
『ハートカクテル』は満たされていないからこそ生まれた物語
ー 須毛原
ここからは、わたせさんの作品について、私がどれだけ好きだったかということをお聞きいただき(笑)、それらの作品がわたせさんにとってどういうものなのかをお伺いしたいと思います。
まず、代表作の『ハートカクテル』ですが、週刊モーニングで1983年から1989年までの6年間にわたって連載されていました。私が東芝に入社したのは1985年のこと。当時、横浜に住んでおり、週末には石川町にあった“Mission to Seamen”という海外からの船員さん向けの娯楽施設によく足を運んでいました。当時の彼女と土曜日にデートをしていた場所で、その待ち合わせにいつも持って行っていたのが、木曜日に発売される週刊モーニングでした。
そして、真っ先に開くのは見開きの中央に掲載された『ハートカクテル』。毎回、描かれる「カレ」と「カノジョ」のストーリー、美しいイラスト、洗練された構図、心に響くセリフ、色彩の鮮やかさ、そして後を引く印象的なラストシーンに心を奪われました。「色彩の旅人」と称されるわたせさんの世界観にすっかり引き込まれてしまいました。
ライフスタイルにも少なからず影響を受けました。例えば、ネクタイをシングルノットで結び、ネクタイピンをつけないというスタイルは、まさに『ハートカクテル』の影響です。
画業50周年という節目を迎えられたわたせさんにとって『ハートカクテル』はどのような位置づけの作品なのでしょうか?
ー わたせ
やはり、スタートラインでしたね。それまでの作品というのは、僕はもともとギャグ漫画を書いていました。バカみたいなオチをつけて楽しくやったんですけど、ある時そういうオチが映画のラストシーンみたいな素敵なシーンだったらどうかなと思い描き始めた作品があって、それをある編集者が見つけて、それが『ハートカクテル』の話になったんです。
ですから、あの『ハートカクテル』というのは本当に僕のスタートだったと思います。それから、よく最近言われるんですけど、『ハートカクテル』が僕の実生活だったのか?と。でも『ハートカクテル』のような生活をしていたら、ああいう世界は描けないといつも答えています。
当時は 2 足の草鞋の生活でした。営業マンで毎日毎日、毎月毎月、年間の予算に向かって走っていましたから、そういう時に疲れて帰ってくる時に電車の中から夜空の星なんか眺めていると想像の世界に入ってしまう。それで作り上げたのが『ハートカクテル』のスタートでした。サラリーマンの気持ちで入っていますので、多くの若いサラリーマンと学生たちが読んでくれたと思うんですよ。
それから、よくバブリーだとか言う人がいますが、バブリーじゃなくて、むしろ出てくる主人公はそんなに豊かじゃない。どちらかというと夢に向かって、それで孤独なんですね。あのテーマは孤独であるんですよ。
特に東京に出て来て孤独感って当然ながら感じるじゃないですか。だけど、その孤独の中でこの東京なり都会で楽しく過ごしているカレやカノジョを描いています。ですからそういう意味でシンパシーを感じてくれたと思うんですね。
ファッションなどについては、当時は今ほど情報がない時代でしたから、週刊誌などのちょっとした記事見つけてこのポロシャツいいなとか、そういうものを主人公に着せていきました。
ー 須毛原
あの懐かしいVANのT シャツかパーカーだったか、そういうのが出てきたりとか、ヘリンボーンのジャケットは私も真似して買ったりしまして、参考書として見ていた部分がありました。
ー わたせ
まさに私自身も、例えば学生時代、冬にデパートのおもちゃ売り場でアルバイトをして、アルバイト代で欲しかったコートを買ったりしていましたから。物に飢えていて目が行っていましたね。
ー 須毛原
コートと言えば、『ハートカクテル』の中で、カノジョが気に入っていたコートを買いに行ったら売り切れていて、実はカレがカノジョにクリスマスプレゼントとして贈ろうと手にいれていた、というストーリーがありましたよね。
そういった小道具を使われて心が温かくなるようなシーンを描かれていましたが、どちらかというと上手く行かない恋、別れてしまったり離れ離れになってしまったり、後に再会したり、そういう切ないけれど気持ちが温かくなるようなお話が多かったような気がします。
画業50周年に後ろを振り返るのではなく、この先の作品へ思いを馳せるわたせさんのバイタリティは、わたせさんのスリムでソフトな物腰からは想像ができません。
私の大好きな『ハートカクテル』について、ここには掲載していない話も含めて、私がいかに心を惹かれていたかということをお伝えすることに熱くなってしまいました。
次回は、『菜』『なつのの京』、そしてわたせさんの尽きることないクリエイティビティの源についてお話を伺います。