漫画家わたせせいぞう氏にお話を伺う第3回。
最終回の今回は、私とわたせさんの出会い、わたせさんが今後描きたいと思われている世界、そして最後に座右の銘をお聞きします。
わたせせいぞう氏プロフィール
1945年 兵庫県神戸市生まれ、北九州小倉育ち
早稲田大学法学部を卒業後、サラリーマンとして働く傍ら漫画制作を開始。
1974年、『ビッグコミック』第13回コミック賞で入賞したことをきっかけにプロの漫画家として活動を始める。
1983年に連載を開始した『ハートカクテル』で一躍人気作家となり、大人の恋愛の機微を描いた作品で多くの支持を集める。
2020年より「ビッグコミック増刊号」(小学館)にて、京都を舞台とした「なつのの京」を連載中。
また、音楽ジャケット、企業広告、雑誌など、幅広い分野で多数のイラストを手がける。
現在、北九州市漫画ミュージアム名誉館長を務める。
- Vol.1「画業50周年に振り返ることはしない」
- Vol.2「日本の色への旅とクリエイティビティについて」
- Vol.3「わたせさんとの出会い、この先の作品は・・・」
わたせさんとの出会いは19年前
ー 須毛原
実は、わたせさんとの対談は今回が2回目となります。1回目は2008年、私が中国・上海に駐在していた際、上海で日本企業向けメディアを通じて対談させていただきました。その当時、私は中国で展開する広告用のイラストをわたせさんに描いていただく機会に恵まれました。きっかけは、戦略機種であったカラー複合機(MFP)を中国市場に広く認知してもらう方法を模索していたときのことです。若い頃から大ファンだったわたせさんのオリジナルイラストを使えないかと考え、思い切って中国から、わたせさんの事務所「アップルファーム」に問い合わせをさせていただきました。正直なところ、断られる覚悟でご連絡したのですが、なんと快くお引き受けいただきました。
最初は1枚のイラストから始まりましたが、最終的にはコマ割りの漫画シリーズに発展しました。「オフィス編」「学生編」「パンダ編」「白蛇伝編」と、合計15作品に及ぶシリーズ展開となり、その間、上海、蘇州、杭州などへの取材旅行にも同行させていただきました。
広告展開を行ったのは2007年から2008年の2年間でしたが、毎回、スタッフと一緒にストーリーの骨子を考え、わたせさんにお願いし、作品が仕上がるのを心待ちにしていたのを今でも鮮明に覚えています。完成した作品が広告として掲載されたときの喜びは、何物にも代えがたいものでした。
今さらではありますが、2006年に突然、中国から広告用のイラスト制作をお願いするご依頼をお送りした際、どのように感じられましたか?
驚かれたのではないでしょうか?
ー わたせ
一番よく覚えているのは、コピー機の広告でありながら、コピー機のイラストは小さくていい、と言われたことです。そこが面白いと思って引き受けました。
ー 須毛原
BtoBのビジネスでしたので広告を載せる媒体はビジネス雑誌でした。そういった雑誌の広告といえば、商品の写真が大きく、説明が掲載されているのが一般的でした。しかし、そういった広告はほとんどスルーされてしまい、目に留まらない。当時の広告の目的はブランドの認知度を上げるということで、とにかく目に留まる広告を目指しました。
わたせさんのイラストによる広告効果も相まって、知名度が飛躍的に向上し、売上も大幅に伸びる結果となりました。
当初はコピー機のイラストが小さいことなどに本社からあれこれ言われましたが、売上の伸長によって私の首が飛ばずにすみました(笑)。
次に描きたいものは上海ストーリー
ー 須毛原
わたせさんの半生を綴られた「ボクのハートフルライフ―色彩の旅人の軌跡」(立東舎)を拝読しました。米国、日本、パリ、江戸、SF、絵本と、多彩な舞台で「色彩の旅人」として作品を描き続けてこられたわたせさんが、今後旅してみたい場所として中国を挙げていらっしゃるのがとても印象的でした。
さらに、上海を舞台にした素敵な恋愛ストーリーを描きたいとおっしゃっていることにも心が躍りました。
遡って2008年の対談でも、最後に私が、「是非、上海版ハートカクテルをお願いします。」と言ったところ、「そうですね上海はぜひ描いてみたい街です。いつかまた機会があると思います。期待してください。」とわたせさんがおっしゃっていました。
どうして中国を舞台にしたストーリーを描きたいとお考えになったのですか?また、すでに具体的な構想やイメージをお持ちでしょうか。
ー わたせ
パリ、日本、アメリカと描いてきて、そうすると次は東南アジアじゃないかと。その中でも歴史があるものが好きなんですよね。中国は何千年の歴史じゃないですか。そういったところに惹かれますね。京都に惹かれるのも歴史の裏打ちがあるところかもしれません。
最近は日中間が必ずしも上手く行っているとは言えないように思いますが、もともと中国から日本へたくさんのものや人が渡ってきていますよね。スタンスは絶対に日中友好スタンス、それは世界平和のためのスタンスじゃないと駄目だと思っています。
上海は船で海から入るって、僕の電通の友人が言った言葉があって、船で入る方法を調べてみたら、50何時間かかるんですね。そんなものを調べてみたりしています。
あとは、音楽。それから、中国の色彩と歴史と平和を求めて描こうと思っています
ー 須毛原
私は先日、音楽家の服部良一さんの著書『ぼくの音楽人生』を読んで、感銘を受けるとともに非常にびっくりしました。戦争の最中の1944年に服部良一さんが上海に行き、中国のビッグバンドを指揮して李香蘭さんが歌ったというエピソードです。
ー わたせ
本当にそうですね。日本人があの時期の上海で指揮をして、その音楽を一緒に盛り上げたのが中国の人だったということは、本当に驚きですね。そこにはやはり、「音楽の力」というものがあるのだろうと思いますね。
座右の銘は「日々新」
ー 須毛原
それでは、お時間の最後に、わたせさんの「座右の銘」は何でしょうか。
ー わたせ
僕は茶道を習っていて床の間に掛け軸を飾りますが、「日々新」という言葉が好きですね。毎日昨日と違ったことにチャレンジしなきゃいけないと思うんです。毎日未来に向かって何か仕事をする。そういうことで「日々新」という言葉が好きです。
ー 須毛原
なるほど、素敵な言葉ですね。
私自身、わたせさんの足元にも及びませんが、常にチャレンジをしていきたいと日々思っております。
本日は長時間にわたり貴重なお話をいただきありがとうございました。
これからも素晴らしい作品を描いていただくことを、ファンのひとりとして楽しみにしております。
対談を終えて
画業50周年を迎えられ、「僕は振り返るよりも、もう明日の絵のことを考えています。振り返るっていうのはまだまだずっと先のことかもしれません。振り返る時間があったら、次に何を描きたいかに向かっています。」というお答えに驚かされるとともに、わたせさんの絵を描くことへの飽くなき情熱に深く感銘を受けました。
「日々新」という言葉の通り、日々の変化を楽しみ、柔軟な発想を持ち続けることが、クリエイティビティの源泉であると感じました。
『ハートカクテル』から『菜』、そして『なつのの京』へと続く作品群が、今なお多くの人々に愛されているのは、わたせさんご自身が時代とともに進化しながらも、普遍的な人間の内面を描き続けていらっしゃるからだと改めて納得しました。
わたせさんが上海をどのように描かれるのか。「上海ストーリー」を読める日を心待ちにしています。