社長エッセイ

社長の日曜日 vol.14 One more thing 2023.07.03 社長エッセイ by 須毛原勲

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 7月になり、早いもので今年も半分が過ぎてしまった。

 今朝(7月1日)は雨で出遅れてしまい、いつものジョギングコースの折り返し地点を過ぎた頃、アップル・ウオッチに日経電子版のニュースが表示された。「Apple時価総額、終値で3兆ドル突破 世界で初めて。」3兆ドルは為替レート145円で約435兆円。トヨタが36.7兆円なので、11.8倍だ。

 少し前の話になるが、6月5日に開催されたアップルの年次開発者会議(Worldwide Developers Conference)の場で、ティム・クックCEOは基調講演が始まって1時間20分後、“One more thing” とお決まりのフレーズの後にアップル初のゴーグル型端末Vision Proを紹介した。“One more thing” は、1988年のスケルトンの斬新なデザインのiMacのお披露目の時にスティーブ・ジョブズが初めてそのフレーズを使って以来、毎年何かサプライズ的な商品を紹介するときに必ず使われるフレーズで、CEOがティム・クックになってからも使われ続けている。Vision Proは現実風景にCGを重ねる拡張現実(AR)に対応したゴーグル型のHMD。(※HMDとはHead Mounted Displayの略で、左右の目の視差を用いた立体映像によるVR(仮想現実)の表示装置の総称)。価格は3499ドル(約51万円)。2024年初頭から米国のアップル直営店にて販売が開始されるという。

 ティム・クックCEOが「空間コンピューティングを切り開く」とする端末は、自社での開発だけでなく、ソニーグループをはじめとした他社との連携やM&A(合併・買収)で得た技術を結集した。ティム・クックCEOは「構想から10年かけた製品は、幾度の発売延期を経て、パソコンやスマートフォンで起こした革新を目指す。」と宣言した。

 スティーブ・ジョブズが97年にアップルに暫定CEOとして復帰して以来、98年のiMac、2002年のiPod, 2007年のiPhone, 2010年のiPadと次々とイノベーティブな商品を市場に投入し続けているが、それらの商品の全ての技術を自前で開発しているわけではない。

 2002年の発売当時のiPodの謳い文句は、「1,000 songs in your pocket」。当時のアップルのスローガン、“Think Different”と共に広く使われた。当初は、一世を風靡したソニーのWalkmanの二番煎じと揶揄されもしたが、音楽を持ち運ぶという基本機能は同じだが、商品コンセプトは全く異なる。iPodはデュークボックスを持ち運ぶように、昔買ったCDで聞いていない曲を全て持っていこうという発想。コンセプトの核心である「1,000 songs in your pocket」の実現を可能にしたのは、当時、業界最大容量最小と言われた東芝製の1.8インチHDD(ハードディスクドライブ)。このHDDは5GBのストレージを有しており、当時としては驚異的な容量だった。東芝の技術無くしてiPodは生まれなかった。東芝の技術に支えられたiPodは世界的に大ヒットし、アップルの業績を飛躍的に改善させ、その後のiPhoneの開発へと繋がっていく。2002年1月2日のアップルの時価総額は約64億ドルだった。あれから22年経った今、アップルの時価総額は3兆ドル超え。実に、469倍となったことになる。

 Vision Proに採用された有機ELの超小型高解像度ディスプレイを供給するのがソニーグループだと報道されている。アップルは2020年5月、米国のスタートアップ、NEXT VR(NextVR)社を買収している。カリフォルニア州オレンジ郡に本社を置くNEXT VR社は、主要各社が提供するVRヘッドセットに向けてスポーツやコンサートを中継していた。2023年には、ARゴーグル型端末の開発製造のスタートアップ、ミラ(Mira 米国)を買収。少し遡ると、2017年にドイツのセンソモトリック・インスツルメンツ(SensoMotoric Instruments)という会社も買収。この企業は視線を追跡するアイトラッキングと呼ばれる技術を研究開発しているとのこと。その技術がVision Proに使われているという。

 アップルは目指すべきこと、商品コンセプトを実現するために、自社開発に頼り切るのではなく、寧ろ他社が有している技術が利用できるのであれば利用し、必要であれば買収して技術を獲得してきているのである。

 Vision Proは、価格が高すぎるなど否定的な意見も散見されるが、多くの人はVision Proの発表にワクワクした気持ちを抱いたことだけは事実だと思う。私もその一人である。

 革新的な商品が日本から生まれなくなって久しい。

 「イノベーションのジレンマ」が広く知られるようになったのは1997年。それを打開する手段の一つとして、「オープンイノベーション」が唱えられたのが2003年。既存事業の更なる強化と新規事業創出の「両利き」の必要性を謳った「両利きの経営」が流行ったのが2、3年前。今では、すっかり「両利きの経営」という言葉が人口に膾炙している。

 クレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen 当時、ハーバード・ビジネス・スクールの教授)が「イノベーションのジレンマ」を1997年に提唱し、著書『The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail』の中で、新しい技術やビジネスモデルの出現が従来の大企業を衰退させるメカニズムを解明し、イノベーションのジレンマという概念を提唱した。イノベーションのジレンマは、次のようなプロセスで起こると言われる。

大企業の成功:

大企業は既存のビジネスモデルや技術を通じて成功を収めている。彼らは市場の主流を牽引し、競争力を持っている。

新興技術の台頭:

新しい技術やビジネスモデルが登場し、小規模な企業やスタートアップがこれを採用する。初期段階では市場の一部でしか存在感を持っていないが、そのポテンシャルや成長の可能性がある。

市場の変化:

新興技術は徐々に成熟し、市場の要求や消費者のニーズにマッチし始める。その結果、従来の大企業のビジネスモデルや製品が陳腐化していく。

ジレンマの発生:

大企業は従来の成功に執着し、新興技術への転換や採用に慎重になる傾向がある。彼らは既存のビジネスに固執し、新興技術や市場の変化に適応することが難しくなる。また、新興技術は初期段階ではまだ成熟しておらず、既存の大企業が利益を上げるための要件を満たしていないことも少なくない。

大企業の衰退:

大企業が新興技術への適応を遅らせる間に、競合他社や新興企業が市場で台頭し、従来の大企業を追い越していく。大企業は市場シェアを失い、衰退や倒産に至る場合がある。

 イノベーションのジレンマは、大企業が自らの成功に固執し、新しい技術や市場の変化に柔軟に対応することが難しいというジレンマを指している。このジレンマを克服するために、企業はオープンイノベーションや両利きの経営などのアプローチを取り入れ、内部の能力と外部の知識を組み合わせることが求められる。

 オープンイノベーションの概念は、ヘンリー・チェスブロ(Henry Chesbrough 当時、カリフォルニア州立大学バークレー校の経営学教授)によって提唱された。彼は、2003年に出版された『Open Innovation: The New Imperative for Creating and Profiting from Technology』という著書でオープンイノベーションの理論を詳しく解説し、従来のクローズイノベーションの限界に着目、企業が外部の知識や技術を積極的に取り入れることの重要性を主張した。

  オープンイノベーションとクローズイノベーションは、企業が新たなアイデアや技術を開発することを目指した異なるアプローチである。クローズイノベーションでは、企業は内部の専門知識やリソースに頼って自社内でアイデアを育む。これにより、知的財産権や競争上の利点を保護しやすく、直接的なコントロールが可能である。しかし、限られた視点やリソースに依存するため、新しい視点やアイデアの取り込みが制限され、市場の変化に適応する能力が低下する可能性もある。一方、オープンイノベーションでは、企業は外部の人々との連携を通じて多様なアイデアや専門知識にアクセスする。外部パートナーやコミュニティとの協力により、企業は新しいアイデアを取り入れることができ、市場のニーズに合わせてより柔軟に変化することができる。

 日本でもオープンイノベーションが注目されている。例えばトヨタ自動車は、外部のスタートアップと提携し新しい技術やビジネスモデルの開発に取り組むなど、オープンイノベーションに積極的である。中国の自動運転のスタートアップ、Pony.ai (小馬智行)と提携、2020年2月にはトヨタから4億ドル(約460億円当時)の出資を実施している。

 両利きの経営とは、ひとつの企業内で、「深化」(exploration)を担う組織と、「探索」(exploitation)を担う組織という2種類(これを「両利き」と翻訳)の組織をもち、それぞれに既存事業と新規事業を担わせることで、既存事業への悪影響を無くしつつ、新規事業すなわちイノベーションを起こすための力を社内に取り戻すための経営手法である。(原書タイトルは 『The ambidextrous organization 』。著者 O Reilly, C.A., & Tushman, M.L.   2004年)。新規事業創出の為には、両利きの経営でもオープンイノベーションを活用し、スタートアップや大学との提携を通じて新たなアイデアや技術を取り入れることを推奨している。

 日本企業の“自前主義”は実は“自前主義”でさえない場合も少なくない。企業が協力会社という名の下請け企業に技術開発を委託しているケースも多い。例えばソフトウェア開発の場合、中国やインド、ベトナムなどの企業に開発を委託しているケースは多い。そういった開発効率の向上やコスト削減の手段としてのアウトソーシングが悪いとは言えないが、真のオープンイノベーションは開発をアウトソーシングすることとは意を異にする。

 日本企業が革新的な商品を生み出すためには、委託開発とは異なる方法、真のオープンイノベーションを実現する必要がある。

 新たな技術を獲得するためには、世界を見据える必要がある。商品開発の段階で、必要な技術や商品を持つ企業やスタートアップに偶然出会うことはありえない。日頃から世界にアンテナを巡らせ、世界で活躍している企業、スタートアップと交流していくことが必要である。

 Vision Proという製品は、まさに、この商品の“Vision(目指したいこと)”をアップル自身が考え、その商品の機能の実現の為に、自社の技術だけでなく活用した方がよいと判断すれば他社の技術を活用し、時には買収によって技術を獲得し生み出された商品である。オープンイノベーションの具現化のような商品とも言える。

 アップルでさえも、なのである。

7月1日記

by 須毛原勲

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