社長エッセイ

社長の日曜日 vol.22 処理水放出の波紋 2023.09.04 社長エッセイ by 須毛原勲

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 9月に入って、心なしか秋の気配を感じる日もでてきたが、それでも今年の残暑は厳しい。暑さを避け30分早起きして10キロを走った後、6時半から近所の公園でのラジオ体操に参加している。公園に集まる人々のすがすがしい表情、新しい一日への期待感が高まる瞬間だ。子供のころの夏休み、首からぶら下げるカードにスタンプを押してもらうのを楽しみに参加していたのを思い出す。今日は、隣で体操をしていた初老のご婦人が、ラジオ体操の歌「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 青空を見上げ」を声高らかに歌っていた。

 先週、当社の顧問弁護士事務所である黒田法律事務所の鈴木弁護士が上海から一時帰国されていた。その機会を利用して、当社ホームページで8月から始めた新企画「社長対談」の第二回目のゲストとしてお話を伺わせていただいた。黒田法律事務所は代表の黒田健二弁護士が中国に留学されていたこともあり、知る人ぞ知る中国法務のプロ。日本経済新聞(2022.12.22電子版)「企業が選ぶ弁護士ランキング2022」の知財分野において、黒田健二代表弁護士が第7位にランクインしている知財分野における日本のトップレベルの弁護士事務所。当社を担当していただいている鈴木弁護士は黒田法律事務所のパートナーであり中国事業の責任者で今年4月から上海に赴任されている。中国とのビジネスを進めていく上で、法務と知財は決しておろそかにはできない。7月1日に中国の「改定反スパイ法」が施行され、日本企業にはより一層の法務・知財に関する理解が求められている。非常に興味深いお話を伺うことができた。インタビュー記事は10月公開予定。どうぞご期待ください。

 今週の最大の話題は福島の原発処理水の問題。中国からと思われる国番号86から始まる電話番号からのクレームの電話が日本のあちこちに何千件もかかっているという。ほんの2週間前は、中国の訪日団体旅行の解禁ということで、中国の国慶節の休みに向けて日本行きの団体旅行の予約が急増していると報じられ、これでインバウンドも更に盛り上がると報道されていたが、処理水放出の後は、中国人の訪日ツアーのキャンセルが広がっているという。

 外務省は27日、中国に滞在や渡航を予定している人を対象に注意喚起を出した。

https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo_2023C043.html 以下抜粋

ALPS処理水の放出開始後、日本関係機関に対して多数の抗議、嫌がらせの行為や電話が発生しています。中国への滞在・渡航を予定している方や滞在中の方はこうした抗議や嫌がらせに十分に注意してください。

特に以下の点に留意していただきますようお願いします。

(1)外出する際には、不必要に日本語を大きな声で話さないなど、慎重な言動を心がける。

(2)日本の大使館や総領事館、日本人学校を訪問する必要がある場合は、周囲の様子に細心の注意を払う。

(3)万が一抗議活動等の場に遭遇した場合には決して近づかないようにし、その様子をスマートフォン等で撮影する等の行為も行わない、の3点。

また、在中国日本大使館のホームページには、処理水についてのQ&A として、16の質問についての回答も掲載している。

https://www.cn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000632.html

 日本政府は原発のALPS処理水は安全だとして“処理水”という言葉を使っている。メディアも徹底して“処理水”として報道していた。そもそも、聞き慣れない“処理水”などと言う日本語は一般的には使っていないわけで、“処理水”という単語は、政府の方針により原発の排水が安全に処理されているという意味を訴えるための造語のようなものである。

 30日の昼食で岸田首相らが福島県沖でとれたヒラメなどの刺身を美味しそうに食べている写真がメディアに掲載された。31日には、米国のラーム・エマニュエル駐日大使が、処理水の海洋放出後初めて福島県相馬市を訪問した。相馬市の立谷秀清市長との昼食会では、地元でとれたヒラメの刺し身などを実際に食べて「おいしい」と笑みをこぼした。福島でのヒラメの漁獲高は日本で4位だそうだ。それぞれ茶番のようにも見えるが、とにかく“処理水”は安全だと訴えるためにいろいろと策を講じている様子は窺える。

 そうした中、現職の野村哲郎農水大臣(79歳)の発言。あろうことか“処理水”を「汚染水」と言ってしまったのである。わざわざ福島県まで行ってヒラメを美味いと食べていたエマニュエル駐日大使もさぞびっくりしたことだろう。

 9月1日の朝日新聞に掲載された、中国総局長の林望氏による「処理水激烈反応の背景に」「こわばる日中政治不在の末」という記事は、今回の状況の正鵠を得ていると思う。

 以下、抜粋して引用させていただく。

“端的に言えば、2021年4月に放出計画が表明されて以来、日中間で科学に基づく議論や交渉が行われず、政府が互いの主張をぶつけ合うだけで、最低限のコンセンサスを欠いたまま「ハードランディング(強行着陸)」したからだ。「日中は処理水以外にも深刻で、難しい課題をいくつも抱える。政治の不在を放置して、その結果を国民に丸投げし続けることはあってはならない。” “今回の処理水放出問題は、最低でも30年間続くと言われている。政治的な対応の不在がもたらす代償は大きく、長期にわたる影響が懸念される。”

 29日、米国のレモンド商務長官が中国を訪問し、李強首相と会談したと報じられた。米中関係は日中関係以上に関係が緊張していると言われているが、李氏は「中国は米国と経済貿易分野で対話・協力を深めることを望む」と述べ、レモンド商務長官は「中国の成長を止めて中国とデカップリング(分断)しようとしているわけではない」と語ったという。レモンド商務長官は、「米中がビジネス面での協力に向けた定期的な対話の開始で合意したことが、今回の訪中の最大の成果だ」と語った。

 同日、英国と中国の外務省は、クレバリー英外相が30日に中国を訪問すると発表した。実に5年ぶり。遡ると6月にはブリンケン米国国務長官が5年振りに訪中。フランスのマクロン大統領も4月に訪中。ドイツのシュルツ首相も22年秋に企業団とともに訪中している。各国首脳と中国政府との外交は頻繁に繰り広げられているのである。これに対して隣国である日本は、隣国であるからこその難しさに直面し続けたままのように見える。

 最後に再度、朝日新聞中国総局長林望氏の記事から引用させていただく。

“12年の沖縄県の尖閣諸島国有化で日中関係が極度に緊張した時、野中広務・元官房長官が北京を訪れ、共産党最高指導部メンバーをはじめとする複数の中国人と会った。野中氏の訪中は日本で強い批判を受けたが、日中全面戦争のきっかけになった盧溝橋事件にも言及しながら、「緊張感がこれだけ続くと、どこかで一発ぼーっとやったら不幸な戦いになる」と危機感を語った。戦争の時代の生き証人として「命がけで来ている」と言った老政治家の覚悟は、今も深く記憶に残っている。”

 因みに、当時の野中氏は87歳。政界を引退して、9年が経っていた。

 2004年の小泉元総理の靖国神社訪問や、2012年の尖閣諸島国有化の際、日中関係は極度に緊張した。私は当時中国に駐在しており、その緊張の深刻さは身をもって知っている。2004年の時も2012年の時も、日中関係が改善に向かうまでには長い時間を要した。

 最低30年間は続くと言われている処理水の放出問題の解決には、一体何年の時間を要するのだろう。

9月3日記

by 須毛原勲

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