秋の深まりを感じる今日この頃、朝の空気はすっかり冷たさが増してきた。この季節の変わり目に、新しいウィンドブレーカーを手に入れた。それだけで気分が一新し、足の運びも軽くなり、久しぶりに少し遠くの公園まで走ってみた。そこで目に飛び込んできたのは、マンゴーに似た形で洋ナシのような黄色い実、カリン。秋の訪れをあらためて感じた。
まさにスポーツの秋。イベントが目白押しで、杭州でのアジア競技大会やワールドカップバレーボール、そしてフランスでのラグビーワールドカップなどが行われている。
ラグビーワールドカップではアルゼンチンに敗れ、残念ながら予選敗退となった。キック処理のミスや、アルゼンチンの11番マテオ・カレラス選手ひとりに3トライを許すなど、苦しい場面もあった。カレラス選手は173センチと小柄ながら、ボールを持つと体にバネが入っているかのような動きでディフェンスラインを突破した。ラインアウトの失敗やハイパント処理のもたつき、ゴールライン直前のトライチャンスでSH斎藤直人選手の痛恨のノックオンやドロップゴールを狙った松田力也選手のキックが相手デイフェンスに止められたりなど、波に乗れない状況が続いた。それでも、快足を飛ばしてウィングに併走し、最後にスローフォワードギリギリでボール受け取りトライした斎藤選手。一本もゴールキックを外さなかった松田力也選手や、前半終了間際のロックの巨漢アマト・ファカダヴァ選手の激走のトライは見事だった。正直、アマト・ファカダヴァ選手の存在を知らなかったのがラグビーファンとして恥ずかしい。対するアルゼンチン選手たちは最後まで粘り強くプレイし、ラインアウトでのミスもなく、自陣でのペナルティーも少なかった。全体的に彼らの方が一枚上を行っていたと感じる。
楽しみにしていたワールドカップが終わってしまった。大好きだったリーチ・マイケル選手や堀江翔太選手の日本代表としてのプレイがもう見られなくなると思うと悲しくて、試合を見終わって流石に落ち込んだ。但し、10分後には復活。次回の2027年オーストラリア開催の大会では、現地で日本代表を応援することを目標とすることに決めた。
パリオリンピックへの切符をかけたワールドカップバレー。対戦成績を5勝1敗とし、2008年の北京大会以来の自力でのオリンピック出場権を獲得した。久しぶりに男子バレーボールの試合を観戦したが、そのプレイのレベルの高さには正直驚いた。キャプテン石川祐希選手や高橋藍選手、西田有志選手のアタックは見事だったし、セッター関田誠大選手の繊細かつ変則的なトスは特に目を引いた。彼はまるで背中に目があるかのように、相手を惑わせるトスを放つ。身長175センチという彼は、ブロックもアタックも成功させていた。私の世代にとって日本の男子バレーと言えば「ミュンヘンへの道」の名選手たちが思い浮かぶ。大古選手や森田選手、横田選手といったアタッカーや、当時世界一のセッターと讃えられた猫田選手など、彼らのプレイは今も記憶に新しい。しかし、現在のチームも彼らに劣らず、あるいはそれを超える可能性を秘めているように感じる。来年のパリオリンピックは、1972年ミュンヘンオリンピックでの金メダル獲得から52年。52年ぶりの金メダル獲得を心から期待している。
そして、秋はノーベル賞の発表の季節でもある。日本の科学者が受賞するか、あるいは文学賞で村上春樹が受賞するかという期待が報道で高まる中、今年も村上春樹の選定は見送られた。10月2日、ノーベル生理学・医学賞の受賞者として、ビオンテック社のカタリン・カリコ氏とペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン氏が新型コロナウイルスのmRNAワクチン技術開発で受賞したことが発表された。
ニュースや新聞でカタリン・カリコ氏の経歴、ワイスマン氏との出会いのエピソードが取り上げられている。カタリン・カリコさんはハンガリーで生まれ育ち、研究の道が断たれそうになった時に一人娘の熊のぬいぐるみに現金を隠して渡米したこと。研究でなかなか成果を出せず、大学から研究予算を削られ、降格を受け入れ、それでも研究を続けたこと。娘さんは米国のボートのオリンピック選手で2度も金メダルを取っていて、カタリン・カリコさんはmRNAの研究者ということよりも、オリンピックの金メダリストの母親としての方が有名だったこと。そして、共同研究者のワイスマン氏とコピー機の前で出逢って今回の受賞業績となった研究が始まったことなどなど。
彼女の経歴に興味を抱き、ポプラ新書「世界を救うmRNAワクチン開発者カタリン・カリコ」を読んでみた。ペンシルベニア大学で特許を申請する際に、簡単に申請を認めてくれない髪の薄い知財担当者に、「知ってる?mRNAで髪が生えてくるかもしれないわ」と言い興味を引き、知財申請を認めてもらった話。ワイスマン氏との出会いの場はコピー機の前だったという話は、実はコピー機ではなくマイクロフィッシュマシーン(マイクロ資料を読むための機械)だったらしいなど、報道されていないエピソードや逸話が数多く紹介されている。
今回の受賞で一番注目されたのはカタリン・カリコさんの飾らない人柄だろう。その温和でユーモアあふれる性格は、彼女が話す英語のトーンからも伝わってくる。彼女は40年以上もの間、多くの困難を乗り越えながらmRNAの研究を続けてきた。そして、2013年にビオンテック社にバイスプレジデントとして加わり、1年間の内10ヵ月はドイツのマインツで過ごし、夫や娘が訪ねてくるという生活を続けながら研究を続けた。
カタリン・カリコさんは、不遇な時代もあきらめることなく、なぜmRNAの研究を続けることが出来たのか。
『彼女が初めてペンシルベニア大学に来たとき、彼女の研究室は病棟の向かい側に立っていた。カリコ氏はいつもそこにいる人々に思いを馳せていた。同僚に対して、いつもこう話していたの。「私たちの科学をあそこにいる患者たちに届けなければならない」ってね。窓の外に見える病棟の患者さんたちを指さしながら「絶対にあそこに届けなくちゃ」と。』(上記本より引用)
2020年1月、中国の武漢で新型コロナウイルス感染症が初めて発生した。それから2ヵ月後の3月に、ビオンテックはファイザーと新型コロナ用ワクチンの開発提携契約を結び、4月に臨床試験を開始した。通常、ワクチンの開発には2、3年かかると言われているが、これまでの常識をはるかに超えるスピードでワクチンが開発された。その基盤となる技術は、カタリン・カリコさんたちが開発したmRNAの炎症反応を抑える技術や、壊れやすかったmRNAを脂質の膜で包む技術、そして脂質ナノ粒子(LNP)の技術。LNPは数回の改良を経て、効率的に体内に取り込まれ必要な部位でmRNAを放出するようになった。ワクチンに関しては様々な見解があるようだが、このワクチンのおかげで、多くの命が救われ、さらに多くの人々が重症化から守られたと私は思っている。
私は今週、6回目のワクチンを接種した。今回はファイザービオンテック製。これまで5回接種したが、いずれもファイザー製かモデルナ製。カタリン・カリコさんのmRNAの技術をベースにしたワクチンである。
「カタリン・カリコ先生、ありがとう。」
10月8日記