急な気温の低下と乾燥のせいか、BioJapanでの多くの方との会話が原因か、体調を崩してしまった。喉が非常に痛く、微熱が出た。幸いコロナの抗体検査もインフルエンザの検査も陰性だった。寝込むほどではなかったが、CEATEC視察の予定をキャンセルし、在宅でひたすらデスクワーク。日課のジョギングも休まざるを得ず、健康のありがたさが身に沁みた1週間だった。
東京は行楽日和の爽やかな秋晴れが続いている。
日本政府観光局(JNTO)は18日、9月の訪日外国人観光客数が2019年同月比で96.1%の2,184,300人であると発表した。8月は2,156,900人で、2019年同月比85.6%だったことから、実数としてはほぼ同じ水準であるものの、回復率は9月が大きく伸びている。
特に注目される中国人観光客の数は、9月が325,600人。8月の364,100人に比べると少し減少したが、2019年同月比で39.7%となっており、8月の36.4%より微増している。新聞報道などでは、処理水放出の影響で中国からの訪日観光客が大きく減少するとの見方が一部で伝えられていたが、9月時点では大きな影響は見られなかったようだ。
日経新聞の見出しは「水際緩和1年 宿泊回復に期待」、サブタイトルは「9月訪日218万人 コロナ前水準に」とされていた。一人当たりの旅行支出では、コロナ前の2019年と現在の2023年を比較すると、円安の影響もあり2019年の162,860円から2023年(7月〜9月)の210,810円へと増加していることが報じられている。観光収入が増えることは良いことだが、オーバーツーリズムという問題もあり、多数の中国人団体観光客が一気に来日することの是非も話題になっている。
谷村新司さんの訃報が届いた。享年74才。まだまだ、お若いのにとても残念である。ラジオの深夜放送世代の私は谷村さんとばんばひろふみさんとの名コンビの「セイ!ヤング」を愛聴していた。
谷村さんといえば、上海駐在時代、中国人との宴会の後にカラオケになると毎回、「昴」を中国語で歌わされたことを思い出す。「昴」は本当に多くの中国の人に愛唱されていた。
10月17日、中国政府外交部の毛寧報道官は定例記者会にて谷村新司さんの死去について記者からの質問に答えている。
記者からの質問:
「日本の歌手谷村新司さんが死去し、中国の多くのネットユーザーがSNSで哀悼の意を表明しているが、外交部はこれについてどのようにコメントしますか?」
毛寧報道官:
「我々は谷村新司氏の逝去を深く哀悼し、彼の親族にお悔やみを申し上げます。谷村氏は日本の音楽界での著名な人物で、多くの作品が中国で広く知られており、中国の市民から深く愛されています。谷村氏は中日の文化交流に熱心で、何度も中国での公演を行い、音楽を通して両国の人々の心のコミュニケーションの橋を築き、中日友好のための実際の行動で積極的な貢献をしてきました。彼は亡くなりましたが、その風格は永遠に残ります。中日の平和と友情の旋律が世代を超えて歌われることを、多くの賢人たちが引き継ぐことを期待しています。」(光明网より中国語原文を筆者翻訳)
さて現在、国際的な大きな焦点となっているのはイスラエルとハマスとの対立だ。10月7日、パレスチナのイスラム組織ハマスはイスラエルに大規模な攻撃を仕掛け、ガザからのロケット発射やイスラエル領内への侵入を行った。これに対して、イスラエルのネタニヤフ首相は強硬な姿勢を崩さず、「我々は戦争状態にあり、勝利するだろう」とし、報復行動を明言している。イスラエルは今回のハマスのイスラエルへの攻撃をテロ行為と断定。ハマスを絶滅させるまで戦うと宣言している。2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生したテロ攻撃での死亡者数は、約2,977名。この数字は、ニューヨークのワールドトレードセンター、ペンシルベニア州シャンクスヴィルで墜落したユナイテッド航空93便、およびペンタゴンでの攻撃による死亡者を含んでいる。イスラエル、ガザ地区での死亡者は22日時点で、既に6,000人以上に達しているとのこと。
米国のブリンケン国務長官がイスラエルとその周辺の中東諸国を訪問した後、バイデン大統領も18日、イスラエル訪問を果たしネタニヤフ首相との会談を行った。ドイツのショルツ首相、イギリスのスナク首相もイスラエルを訪れネタニヤフ首相と会談した。イスラエル軍は21日、パレスチナ自治区ガザ北部のハマスの拠点への空爆を強化すると表明した。22日にかけても空爆があり、ガザとイスラエル双方の死者は戦闘開始以来で計6,000人を超えた。ガザとエジプトの境界のラファ検問所は人道支援物資の搬入のため2日連続で開かれた。
ガザからの報道によると、イスラエル軍は21日、ガザ住民に北部から南部への退避を求めるビラを投下した。軍報道官は空爆強化で「戦争の次の段階」に備え危険を最小化するとした。ハレビ参謀総長は地上侵攻を念頭に「ハマスの戦闘員とインフラを破壊するためガザに入る」と明言した。事態は緊張を増している。
私は20代の頃、中近東のビジネスに携わり多くの国々を訪れた。サウジアラビア、イラン、クウェート、オマーン、バハレーン、エジプト、トルコ、モロッコ、レバノン、そしてイスラエルやパレスチナも訪問した。
中近東の国々から直接イスラエルへの入国は不可能で、一度ギリシャのアテネを経由してテルアビブに入国するルートを取らざるを得なかった。そして、イスラエルの入国スタンプがパスポートに押されると、それ以後アラブ諸国への入国が出来なくなるため、パスポートへのスタンプを避け、ボーディングパスへのスタンプを入国審査官にお願いすることが必要だった。「Please don’t stamp on my passport but on the boarding pass!」
パレスチナへの訪問は一度のみ。山間部を越えてパレスチナ自治区へと足を運んだ。山の中腹にぽつりぽつりと立つ家々の灯が、まるで空に浮かんでいるかのように見えた。その景色は、まるで天使が舞い降りるかのような神秘的な感じがしたことを覚えている。
1つ、強烈に記憶に刻まれている出来事がある。当時、中近東の代理店を招集した会議において、私はイスラエルの代理店の社長と、クウェートの代理店の社長を同じ円卓に座ってもらう席次を組んでしまった。クウェートの社長が同じテーブルにイスラエルの代理店の社長の姿を見た瞬間、烈火のごとく怒り出した。クウェートの代理店の社長は、実はレバノン出身だった。1982年にイスラエル軍はレバノンへ侵攻し、ベイルートを含むPLOの拠点を攻撃した経緯があったのだ。(「レバノン戦争」または「第5次中東戦争」とも称される出来事。)。
私はこのような国際的な背景を考慮せず、その配席をしてしまったことで、彼の逆鱗に触れる結果となった。そのときの忸怩たる思いは、今でも心に深く刻まれている。
この地域の問題は2000年以上も続いている。私のような者が簡単に言及することは控えるべきだと思う。
しかし、最悪の事態にならないことを心から願ってやまない。
10月22日記