社長エッセイ

社長の日曜日 vol.71 パンダの故郷 2024.09.30 社長エッセイ by 須毛原勲

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 ジョギングコース沿いの彼岸花が今年も綺麗に咲いている。今年の9月は異常な暑さだったが、それでもお彼岸の時期には律儀に咲き出すのだ。秋分の日が過ぎ、すっかり涼しくなってきた。今日の東京の日の出は、5時半過ぎ。これから、日がどんどん短くなっていく。

 ここ2週間、中国人との会食の機会が続いている。先々週、一緒に近郊の温泉を楽しんだ中国人の友人と、別の日に東京で会食した際に、彼の北京大学EMBAの同窓生で東京に住んでいる友人を紹介された。その人は中国のとある銀行の元頭取。その後、その友人の友人が日本に来るというので、ぜひ紹介したいと言われて会食に誘われた。日程が二転三転、且つ、直前まで場所が決まらず、参加者も当初は私も含めて3,4人という話だったが、当日、指定された場所に行ってみると、ホテルの立派な中華料理店の個室に知らない中国人が5人座っていた。北京時代、同じような経験を何度もした。久しぶりに、あの頃の経験を思い出した。日程も場所もなかなか決まらない。メンバーも教えてくれない。「とにかく、紹介するから、お前も来い。」まさに、「中国的」なアレンジ。彼らが持参してきた白酒「茅台酒」と日本で買って持ち込んだという日本酒「獺祭」で乾杯となった。

 別の日には、とあるイベントのために来日中の中国企業の責任者と、イベントの後、食事をする予定にしていたのだが、結局、他の中国人と一緒にマイクロバスに乗せられて連れて行かれ、近辺の居酒屋で他の中国人と一緒に会食ということになってしまった。お陰で他の中国人とも仲良くなったが、肝心の仕事の話がほんの少しとなってしまった。こちらもまさに「中国的」。普通の日本人は受け入れ難いだろうなと改めて思った。

 一緒に温泉に行った友人と中華料理店で中国語で会話をしているとき、友人は自分も日本語を少し話せると言って、「よし」、「メシ」という単語を口に出していた。自分も多少「日本通」だということをアピールしているつもりらしいが、思い出せば中国に赴任した当時、同じような経験を何度もした。どうして知っている日本語が「ありがとう」とか「こんにちは」ではなく、「よし」、「メシ」なのか。その理由を聞いて愕然とした記憶が蘇ってきた。私が駐在していた頃、中国では反日の戦争ドラマがしょっちゅう放映されていた。その中で日本兵がよく口にしていた言葉が、「よし」、「メシ」なのである。

 18日、中国・広東省深圳市で日本人学校に通う10歳の男の子が登校中に男性に刺されその後死亡するという痛ましい事件が起こった。

 事件が発生したのは9月18日。満州事変の発端となった「柳条湖事件」が起こった日である。吉林省長春、かつて満州国の首都「新京」と呼ばれていた場所に皇帝だった溥儀の皇宮が残っている。そこには、江沢民の揮毫が刻まれた石碑がある。『勿忘“九・一八” 江澤民』(9月18日を忘れるなかれ。)

 この事件を受けて岸田総理は、豪雨災害に見舞われた能登半島の視察に訪れた石川県で、中国に対して、「極めて卑劣な犯行であり、重大かつ深刻」だとして、一刻も早い説明を強く求めた。上川陽子外相は米ニューヨークで中国の王毅共産党政治局員兼外相との会談し、事件の原因究明を求めた。

 王氏は、「今回起きたことは我々も目にしたくない偶発的な個別事案だ」と発言した。更に中国側の発表では、「日本は(事件を)冷静かつ理性的に見つめ、政治問題にしたり大ごとにしたりするのを避けるべきだ」と語ったと言う。中国政府はこの事件を「偶発的な事件」とし、中国外務省の林剣報道官が「類似の事件はいかなる国でも起きる可能性がある」と説明している。6月には江蘇省蘇州で、日本人学校のスクールバスを待っていた日本人母子ら3人が刃物を持った中国人に襲われる事件も起こっている。その際も中国政府は「偶発的な事件」との見解を示したが、今回も同じ説明を繰り返した。この事件が日本人を標的としたものだったと認めることによって日本人の対中感情や日中関係が悪化することを危惧しての対応だと言われている。

 現地の日本企業の中には、外出時に日本語での会話をなるべく避けるようにとの指示を出したり、希望者には会社負担で一時帰国できるようにしたという企業も少なくないらしい。2004年、私が上海に赴任していた当時、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝を機に中国において反日デモが広がり、上海では日本食レストランが襲われ、日本領事館に物が投げつけられることが起きた。家族は外出時、韓国人の振りをせざるを得なかった。公私ともに不安な時期を過ごしたことが思い出される。

 一方、29日、上野動物園のパンダのリーリー、シンシンが中国に旅立っていった。最後に一目見ようと、最終観覧日には1万2000人以上が抽選に応募し、一般観覧には開園前に約2,000人が並んだという。テレビに映し出された観覧を終えた人は涙ぐんでさえいた。日本人はパンダが本当に大好きなんだなと思う。私もパンダとは縁がある。上海で住んでいた家が上海動物園のすぐ裏にあったため、毎週末は上海動物園の中に入って、折り返し地点はパンダ厩舎でパンダに挨拶してから帰ってくるというコースを走っていた。中国でもパンダはみんなから愛されているが、日本ほど希少価値がないためか、上海動物園のパンダ厩舎は人影もまばらでいつ行ってもパンダがふてくされた態度で寝っ転がっていたものだ。当時私の勤務していた会社が、パンダの故郷である四川省成都のパンダ研究基地に、双子のパンダの名付け親となって寄付を始めた。毎年少なくない金額を寄付して、その更新のためにパンダ研究基地を訪れた。その度に成長した双子のパンダと挨拶させてもらった。

 期せずして、9月29日は田中角栄首相と周恩来総理が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名した日である。1972年9月29日のこの日中共同声明発表により、日中国交正常化となった。今年は52周年である。

 蘇州、深圳と日本人が襲われる事件が相次いだ中国。不動産不況から脱しきれない中国。米中関係の緊張が続く中国。それでも、人口14億という巨大市場の中国。そして、日本人の愛するパンダの故郷の中国。日本にとっては、「一衣帯水」の近隣の国という中国。

 退任する岸田総理は総理在任約3年の間、結局一度も中国を訪問することは無かった。自民党の新総裁に就任した石破茂氏がこの中国という国とどう向き合うのか、注目したい。

9月29日

by 須毛原勲

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