社長の日曜日

社長の日曜日 vol.76 一雨一度 2024.11.18 社長の日曜日 by 須毛原勲

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 日の出の時間は日に日に遅くなっている。今朝(17日)は6時19分だった。

 今週は雨でジョギングを休む日もあった。冬から春にかけて「三寒四温」という言葉があるが、秋には「一雨一度」(ひとあめいちど)というらしい。文字通り一雨ごとに気温が下がっていく。ジョギングコースで見かけた車止めに乗っているステンレス製の小鳥たちがマフラーをしていた。誰が編んでつけてあげたのかは分からないが、可愛らしい。初めて見てから数日が経ったが、そのマフラーは今もそのままだ。

 11月11日、中国・広東省珠海市で62歳の男性が車で体育施設のランニング・コースに進入して次々と人をはねた事件が発生した。35人が死亡し、43名が負傷したというニュースが衝撃的な動画と共に報じられた。遡ると、4月には江蘇省蘇州市で日本人男性が切りつけられる事件が発生し、6月には、蘇州市で日本人母子が切りつけられている。9月には広東省深圳市で日本人学校に通う児童が襲われ死亡した事件が発生した。日本人を狙った事件が多発しているように見えるが、実は、米国人や中国人を襲った事件も発生しているらしい。

 「社会性報復」という言葉が中国で流行っている。特にSNSやインターネットを通じて広がることが多く、個人的な復讐が社会的なレベルで影響を及ぼすケースを示す。中国では国内総生産(GDP)の約3割と言われる不動産関連産業の失速に伴う経済低迷が続いている。こうした不満が度重なる事件の原因だとすれば、今後もこのような事件が続くことになる。中国で暮らす日本人駐在員やその家族達にとっても不安な日々が続くことになる。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議(11月15日~16日)に出席のため、南米ペルーの首都リマを訪問中の石破茂首相は15日、中国の習近平国家主席と初めて会談を行った。両国の共通利益に基づく協力を強化する「戦略的互恵関係」を包括的に推進し、「建設的かつ安定的な関係」を構築する方針を改めて確認したと報じられている。会談後、石破首相は次のように述べた。「大局的な観点から非常に有意義な意見交換ができた。日中間にはさまざまな意見の相違があるが、引き続き会談を重ねることで一致を見た。首脳間を含むあらゆるレベルで幅広い分野の意思疎通を一層強化し、課題を減らし、協力と連携を深めるために努力したい。」

 石破首相は就任以来、中国との交流の重要性を一貫して強調している。1回目の首相就任時の所信表明演説でも、中国との関係に多くの時間を割いていた。この姿勢は中国側にも伝わっているようだ。

 会談中、習近平主席は微笑みを浮かべながら石破首相と握手を交わした。その表情からは、二人の相性が意外にも良さそうだと感じられる。一方、習近平主席が差し出した右手を石破首相が両手で受け取った場面については、一部で批判的な報道も出ている。外交の場における両手での握手は、立場の劣位を示すとされることが理由である。しかし、石破首相の行動には「この国との関係を何とかしたい」という強い思いが表れていたのではないだろうか。その真摯な姿勢が今回の会談にも反映されていたように思われる。時間はかかるかもしれないが、多くの課題が一歩一歩着実に前進していくように感じられる。

 2025年の日本開催を目指す日中韓首脳会談に合わせて、李強首相の来日が想定されている。実現すれば、2018年5月に李克強首相が日中平和友好条約締結40周年を記念して日中韓サミットに出席するため来日して以来の訪日となる。また、石破首相は訪中にも前向きであると報じられている。日本の首相が最後に中国を訪問したのは2018年10月25日から27日にかけての安倍晋三首相の訪問であり、それ以降はコロナ禍もあり訪中はしていない。石破首相には是非とも実現してほしい。

 「北上广深」(ベイシャングアンシェン、(Běi Shàng Guǎng Shēn))という言葉を聞いたことがあるだろうか。「北上广深」は、中国の四大都市、すなわち 北京、上海、広州、深圳の略称である。

 この言葉が広く使われるようになったのは、2010年以降。中国国内外のメディアや経済関連の議論で「北上广深」が頻繁に登場するようになり、都市格差や一極集中を語る際のキーワードとして広まった。特に、不動産価格、人口流入、教育機会、就職の競争率などを語る際に「北上广深」という表現がよく用いられるようになったらしい。

 「北上广深」の一つである上海は、中国最大の港湾都市であり、国際的な都市として広く知られている。上海は近代中国の象徴として、租界地を中心に国際文化が融合し、独自の発展を遂げてきた。幕末には高杉晋作が訪れ、そのモダンな街並みに感銘を受けたという逸話が残り、日本人にとっても憧れの地であった。また、ジャズ音楽や映画、京劇や演劇が盛んで、芸術の都としてもその名を馳せている。

 最近読んだ「ぼくの音楽人生」(服部良一著)では作曲家で指揮者の服部良一氏と上海の関わりについてが紹介されている。戦時中の1944年、服部良一氏が上海交響楽団を指揮し、あの「夜来香」をシンフォニックジャズにした「夜来香幻想曲」を当時中国で大スターだった李香蘭(リー・シャンラン)が歌い上げて大喝采を受けたそうだ。李香蘭さんは、言わずとしれた山口淑子さん(後の参議院議員)。

 上海は、東洋と西洋が調和した多彩な文化が今なお息づく、魅力あふれる都市である。上海で生活すると上海独特の文化に魅了される人は少なくない。

 先週から、当ホームページにて、「リアル中国生活!MIKIの上海通信」というブログを掲載開始した。

https://sugena.co.jp/miki/post-4362/

 筆者は上海在住のMIKIさん。上海生まれ上海育ちの生粋の上海人。彼女の目を通して、「上海の街を、人を、文化を」紹介していければと思う。

 ご一読頂ければ幸いである。

11月17日

by 須毛原勲

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