スタッフエッセイ

中国語の小窓 ② 2021.07.29 スタッフエッセイ by 板橋清

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 私と中国語との付き合いは、大学1年で第二外国語の授業に出たのが最初だから、もうかれこれ6年になる。それから北京に1年間の交換留学に行ったし、中国の友人ともたくさん関わった。それでもまだまだ、中国語は難しい。知らない言葉がたくさんあるだけでなく、知っている言葉にも、ネイティブでなければなかなか分からないような細かなニュアンスがある。しかしだからこそ、一つの言葉の意味がだんだんとはっきり掴めてきたときの快感は格別だ。

 言語には文化が詰まっている、とはよく言われることだが、確かにそれが言語を学ぶ快感の理由の一つだろう。日本語とは違う微妙な言葉の機微に出会うたびに、中国ならではの世界の切り取り方を知ることができる。このコーナーでは、そんな味わい深い中国語の表現を紹介していく。

「客」のこと

 中国には「好客hàokè」な人が多い。「好客」とは文字通り、客を好むことである。留学中友達の実家にお邪魔したときなども、あまり盛大にもてなされて大いに恐縮した。僕たちのためにこんな豪勢な晩餐まで用意してくれて……と申し訳なさそうな顔をしていたら、友人の親戚のおじさんが一言「中国人是很好客的」――中国人は客好きなのさ。そうかそんなに客好きなのか、じゃあありがたく頂戴すればいいや、と考えて、後は美味な食事に専念した。

 中国ではどうやら、主人と客とを区別する意識が日本よりも幾分強いらしい。その意識は言語の上にも現れている。日本語の「奢る」という言葉は中国語で「请客qǐngkè」というが、これは文字通りには「客を招く」という意味だ。しかし、別に宴席を張って客を招待する場合でなくとも、奢るときはいつも「请客」と言う。「今天我请客」といえば、「今日は僕が奢るよ」という意味。日本人の若者からすれば、奢る奢られるの関係と主人客人の区別は別物のように思われるが、少なくとも中国語の語源上は両者の間に本質的な関係がある。

 付け加えると、ほとんど同じ意味の言葉に「做东zuòdōng」がある。做はする、なる、作るなどという意味の動詞で、东は「东道主dōngdàozhǔ」(主人・ホスト)の略。「主人になる」が原義で「ご馳走する」ことも表すのだから、事情は「请客」の場合と全く同じだ。

 ちなみに中国の友人と食事に行くと、向こうが「请客」してくれることも多いが、奢られるばかりではいけない。「请客」されるというのはいわば、心理的にある種の負債を負うようなものであり、その負債は次回会ったときに返済する必要がある。今回向こうが「请客」したら、次回はこちらが主人となって「请客」する。そうやって関係が続いていくのである。また「请客」されるにしても、単純にありがとうと感謝するだけでは物足りないようだ。よく中国では会計のときに「私が出そう」「いや私が」「いやいや、君は財布をしまって」と議論を始め、一見すると喧嘩のような激しい口調でやりあっている人を目にする。奢られること一つとっても、文化が違うと容易なものではない。

 さて、いくら客を大事にするとはいっても、客と主人という関係にはやはり、どこか隔たりが感じられるだろう。水臭い関係を嫌い、どんどん仲間同士――「自己人zìjǐrén」――の親しさに至ろうとする志向も、中国の人と接しているとしばしば感じられる。それは、中国語の教科書の最初の章に出てくるような表現の中にも垣間見える。「不客气bùkèqi」という言葉は、「谢谢」(ありがとう)に対する応答語として教えられるが、日本語の「どういたしまして」とはどうも少し違う響きがあるようだ。「客气」とは、文字を分析すれば客のような態度や気風というほどのことだろうが、要は礼儀正しく遠慮がちであるという意味である。「您客气了Nín kèqi le」といえば、「あなた遠慮しすぎですよ」「そんなに遠慮しないでください」というような意味である。だから「不客气」という表現は本来、「遠慮しないで」、「水くさいことはよそう」というようなニュアンスを伴っている。 

 「客」という字があまりいい意味で使われない語の例としては他に、「客套kètào」という言葉がある。これは他人行儀な挨拶という意味の名詞であり、そういう挨拶をするという意味の動詞としても使われる。例えば「别客套了 Bié kètào le」といえば堅苦しいことは抜きにしよう、というほどの意味だ。 

 日本語でも中国語でも、「客」という字は同じguestの意味を持つ。しかしここまで見てきたように、この字が帯びる色彩は二つの言語で微妙に違っているようだ。ごくわずかな違いではあるが、案外こんなところに、中国の人情の機微のようなものが色濃く現れているように感じられる。

by 板橋清

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