スタッフエッセイ

私の中国見聞録② 口福の中国 2021.07.21 スタッフエッセイ by 板橋清

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 前回は北京の茶屋の話をした。今日は中華料理の話をしようと思う。この連載は別に口に入れるものの話ばかりする場所ではないのだが、留学時代のことを思い出すとまず食べ物のことが頭に浮かんでしまうのだから仕方ない。

 1年間北京に滞在して、中国以外の料理を食べたことは数えるほどしかなかった。北京には中国各地からやって来た人が暮らしており、様々な地方の料理屋があるから、飽きるということがないのである。誰もが知る通り、一口に中国料理といっても無数の種類が存在する。四川料理や広東料理は、日本でも有名だろう。しかし他にも安徽料理、雲南料理、貴州料理、内モンゴル料理、チベット料理……と挙げていったらキリがない。そのほとんどを、北京で味わうことができる。もちろん、ご当地北京の伝統料理屋もある。

 これらの料理は皆、単に2、3の名物があるというにとどまらず、独自の食文化を形成している。味付けから調理法までそれぞれ異なる特徴を持っているのだ。例えば同じ辛い料理でいっても、四川料理では花椒のしびれる辛さが強調されるし、湖南料理は生唐辛子を多用するからひりつくような辛さがあるし、貴州料理には辛さと同時に酸味を含んだものが多い。その四川料理や湖南料理や貴州料理の中でさえ、地域によって味わいが異なるという。考えてみれば、この国は1つの省でさえ数千万から1億の人口を擁しているし、日本より面積の大きな省だっていくつもあるのだから、それくらいの違いがあってもおかしくない。時々中国の方言は外国語と同じくらい異なっているという言い方がされるが、食文化も同じことだ。上海料理と雲南料理が、イタリア料理とスペイン料理くらい違っていても不思議はないのである。

 中でも私が気に入っていたのは、西域のムスリムが食べるハラール料理だった。コシのある真っ白な麺も、濃厚すぎず滋味深い味付けも、独特の香辛料の香りも、なんとも堪らない。こうしたハラール料理は北京の至るところで食べることができ、北京大学の食堂にも四川料理、山東料理など各地の料理に並んで「清真菜(ハラール料理)」のコーナーが設けられている。

 私が北京で住んでいたところの付近にも、青海省の少数民族の家族が経営するハラール料理屋があった。店に立つ奥さんはまだ北京に来て2、3年しか経っていないといい、中国語にはなまりがある。店の人と話すときは自分たちの言葉で話すから、私たちには全く聞き取れない。彼女らの文化は漢族よりむしろ中央アジア、さらには遠くトルコの文化と系譜的に近いのだ。言語もトルコ語と同じ系統で、料理にももちろんそれらの地域と共通のものが多い。中国は日本の隣国とはいうものの、その西端は中央アジアの国々に接しており、中近東やヨーロッパ文明との交渉の歴史も長い。その文化が数限りない要素を含み持っているのも思えば当然のことである。

 北京で西域料理を食べ、店の奥さんの話す知らない言葉を聞きながら、私は7000km離れたトルコに思いを馳せる。今自分がいる場所が、アジアの西端の国に地続きで繋がっていると思うと、何とも不思議な気分にとらわれた。 中国は多元的な文化を持っている。多様な習俗、多様な言語、多様な風土、多様な宗教で構成されている。そのことは頭で分かったつもりでも、実際に訪れるまで強く意識したことがなかった。そもそも日本で普通に学生生活を送っていると、この地上には実に途方もないほど様々な人が生きているのだという感覚を、あまり持つことなく過ごしてしまうのかもしれない。北京で食べた多彩な中国料理はその感覚を、端的に胃袋を通して私に教えてくれたように思う。

by 板橋清

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