
朝比奈一郎氏プロフィール
東京大学法学部卒業。ハーバード大学行政大学院(ケネディスクール) 修了(修士)。
経済産業省ではエネルギー政策、インフラ輸出政策、経済協力政策、特殊法人・独立行政法人改革などに携わる。
「プロジェクト K(新しい霞ヶ関を創る若手の会)」初代代表。
経産省退職直後の2010年11月に青山社中株式会社を設立。
筆頭代表 CEOを務め、政策支援・シンクタンク事業、コンサルティング業務(自治体や民間企業等の支援)、リーダー育成など教育・人材育成事業を行う。
福井県立大学 客員教授、ビジネス・ブレークスルー大学大学院 客員教授、ハーバード大学ケネディスクール 日本人同窓会 理事。
中央省庁・北九州市・浜松市・川崎市などのアドバイザーや富山県人材育成・確保推進会議座長・神戸市人材育成に関する懇話会委員・静岡市社会の大きな力と知を活かした根拠と共感に基づく市政変革研究会委員など各審議会委員を歴任。
著書に『やり過ぎる力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)や『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』(東洋経済新報社)など。

- Vol.1「日本の再生を目指して」
- Vol.2「日本の底力は地方にあり」
- Vol.3「新しい伝統をここからつくる」
ー 須毛原
『新・社長対談』第1回目のゲストは、青山社中株式会社 筆頭代表CEOの朝比奈一郎さんをお迎えしました。
朝比奈さんは2010年に経済産業省を退官し、青山社中株式会社を設立。「日本の活性化」を目指し、人材の育成を目的としたフォーラムの提供や、地域の活性化支援等をおこなって来られました。
青山社中という社名は、坂本龍馬が日本で最初に結成した会社といわれる亀山社中が由来だそうです。「指導者」ではなく「始動者」を育成するという新しい視点の人材育成や、枠組みに捉われず、行政と企業の両側面から日本を良くしていこうという熱い想い、その根幹についてお話を伺っていきたいと思います。
繋がったご縁
ー 須毛原
今回の対談のきっかけは、私が予てよりご指導いただいている政策研究大学院大学の篠田教授からのご紹介によるものです。もともと私が北京で東芝の中国総代表をしているときに、篠田先生が日中経済協会の北京所長を務めておられたご縁で、その後私が起業してからもアドバイスをいただいたりしていました。
今年の3月まで、当社は新潟県の企業様の海外進出支援事業を受託していたのですが、その話を篠田先生にした際に朝比奈さんをご存じだという話になりました。
ー 朝比奈

そうですね。私は前職が経済産業省で、篠田さんは直接の上司で、課長補佐としてお支えするという立場で1年ほど、お仕えをさせていただきました。その時の仕事は、海外に日本のインフラを出すのがメインで、アジア諸国から全世界を見渡しながら、11分野を決めて精力的に出していこう、というものをチームでやらせていただきました。
ー 須毛原
それから篠田先生も退官されて、朝比奈さんが起業されてもお付き合いが続いていると。
ー 朝比奈
篠田先生には大変申し訳なかったかもしれないのですが……当時私は、やはりこのままだと日本は良い形で蘇っていけないと思い、「経産省を飛び出してやりたいことがある。」と篠田先生に相談させていただきました。ありがたいことに慰留してくださったのですが、篠田課長のほうがご異動になりまして。
結局後任の課長のもとで辞めたので、普通はもうそこで縁が切れてしまうのですが、辞めた後も何かと気にかけてくださり、政策研究大学院大学でも何度も講義をさせていただいたりしました。何かと気にかけていただいて、大変ありがたいです。
青山社中設立の思い
ー 須毛原
青山社中についてお伺いしていきますが、青山社中の設立が11月15日で、坂本龍馬の誕生日であり命日であるこの日を選ばれたということですが、改めて会社の設立日を選ばれた思いを聞かせていただけますか。
ー 朝比奈
これはですね、ちょっとかっこいい想いの部分と、こういう背景でしたという本音の話とがありまして。
本音の方からお話すると、今申し上げた通り、私が篠田先生にお仕えしていたのが2010年の春ぐらいでした。辞めたいと伝えた時は大事な仕事もあって、「今ではないのではないか」とお言葉をいただきました。次の課長が来てからはなかなか辞めさせてもらえず、結局11月くらいに辞めることになりました。もしその時すんなり行っていたら、もっと早く会社を作れたと思うのですが。
当時一緒に会社を作ることにしていた者は先に辞めて、準備を始めていました。2人で話し合い、「この時期になったからには設立日をちゃんと選ぼう。」という話になりまして。「青山社中」という名前にすることは決まっていたので、「坂本龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日にしようじゃないか。」と決めたのが本音です。
想いのところを込めて申し上げれば、そもそも何故坂本龍馬の作った会社に憧れて作ろうと思ったかというと、一言で言うと「とらわれない会社」だと思ったのです。日本の法人は営利法人や非営利法人、非営利法人の中にもNPO法人など色々ありますが、亀山社中は貿易商社みたいなところもある。そういう意味では営利法人ですが、同時に長州征伐の時は命がけでサポートをしたりしていました。命をかけるって究極の非営利じゃないですか。
こういう理念のためなら営利なことも非営利のこともやる、という理念中心の法人を日本に新しく作っていって、流れができないか、と。それでこの亀山社中の名前を借りて、青山社中にしました。こぼれ話的な話をしますと、亀山社中なので最初は亀がつく地名でやろうと思ったのです。亀戸社中とか亀有社中とか。ただ仕事上、霞が関や政治家の先生方とのお付き合いもあるので、その辺りだと距離が遠くて。そこで亀を断念して、亀山社中の「山」を使おう、と。山がつく地名を探して青山になりました。
後付けになりますが三つほど理由もあります。一つは青山という場所は非常に前向きでクリエイティブでワクワクする。霞が関は正直、官庁街でどんよりしたところもあって、そういう意味では青山は良いなと思います。二つ目は「人間到る処青山あり」と言って、死に場所という意味もあります。それぐらいの覚悟をもってやっていこう、と。あとは弊社のロゴにもしている青い山。富士山が青い山というイメージがあるので、日本の象徴で日本の活性化について考える。そういう三つほどの要素を掛け合わせて、青山で行こうということにしました。
ー 須毛原
亀山社中は薩摩と長州の間を繋いだということが広く知られていますが、亀山社中がやったようにいろいろな地方と会話をつなぐ、という意味合いも含まれていらっしゃるのですか。
ー 朝比奈
そうですね、その頃はそこまでは意識していませんでしたが。やはり民主主義が分断してしまう中で接着剤と言いますか、日本的につないでいくということも、クリアな言葉ではないですが意識はしていましたね。
ー 須毛原
素敵な社名ですよね。この音の響きが色褪せないというか。新しい想いを感じるお名前だと思います。
ー 朝比奈
ありがとうございます。特に「社中」という言葉。これは人の集まりという意味ですが、ステークホルダーと言ってしまうと利害があるような人たちだけで集まったイメージになりますが、「社中」はもう少し緩やかで、少し範囲も広いようなイメージも出たりするので、確かに「社中」は良い言葉だな、というふうには思っています。
ドライビングテクニックをふるうより車や道を整える側に
ー 須毛原
2010年に経産省を退官される時に、政治家になるか官僚を続けられるか、民間企業といろいろな選択肢がある中で、青山社中という枠組みを選ばれた理由というのは何でしょうか。

ー 朝比奈
実は最初は「霞ヶ関改革」というのを霞が関の中でやっていたので、あまり辞めるつもりはなかったんです。中に残り続けて改革して頑張ります、というのがもともと信念だったんですね。ところがその頃、2010年の夏に参院選がありまして、いろいろなところから出ないかとお誘いがあったんです。
ある政治家から「あなたがやろうとしていることで本当に日本が立ち直るのか。」というようなことをだいぶ突きつけられて、私も政治に出ることに一旦は傾きかけたのです。そこでいろいろ議論を重ねたり考えたりする中で、最終的に「政治が答えではない。」という結論になりました。
比喩的に言えば、政治家はドライバーのようなものだと思います。カーレースで言うとドライバーって目立つじゃないですか。ドライビングテクニックは大事なので、政治家は俺にドライブさせろと言う。端的に言えば総理大臣になるというのはそういうことだと思います。
ですが正直、誰がやってもそれほど変わらないのではないかと。例えば、ある程度減税しないと国民が持たない、だからと言って減税しすぎるとマーケットで叩かれる、では歳出を抑えられるかというと防衛費などもあるのでなかなか難しい、と考えると、ドライバーによって大きく何か変わるような話でもないのです。
どちらかというと今日本が沈んでしまっているのは、ドライビングテクニックよりはそもそも車がポンコツになってしまっているからではないかと。道がボロボロだから道路を直したり、いい車を作ったりといった作業のほうが大事で、それが今、青山社中でやっている人材を作っていく、地域を活性化していくといったことなのです。
政治家をやりながら塾をやったり地域のアドバイザーをやったりすることもできるかもしれませんが、なかなか現実的には厳しい。ドライブをやるよりは道をしっかりさせて土台を作ることをやろう、と。それで新しい会社を作って、日本の活性化をすることを選びました。
霞が関だけでなく日本全体が良くなってほしい
ー 須毛原
話が少し遡りますが、ハーバードの留学から帰国された後、経産省にいらっしゃったときに「霞ヶ関を変える」ということを発信されました。そこである種の限界を感じられたというところで、内側からの改革の限界というのはどういったところを感じられたのでしょうか。
ー 朝比奈
限界でもあり、逆に言うとやりきったような感じもありました。霞が関を良くするというところで具体的に案を作り実名で本を出版して、縦割れを排するような組織論の話と、公務員制度、普通の企業での人事制度を変えるという話、日々の業務フローを変えていこう、というような提言をしたりして、徐々に良くなってはいったのです。
例えばその組織論のところで言えば、昔は各省バラバラと言われていましたが、今は人事権を内閣人事局とか官邸が握っているので、それほどバラバラではなくなって、各省がまとまっていくようになりました。公務員制度も昔よりは一人ひとりのキャリアを考えた人事になってきていますし、業務も効率化されてきて、徐々に霞が関が良くなっていくと思ったのです。
ただ、霞が関を良くすることが人生の究極の目的でもありません。日本が良くなってほしいのが目的なので、霞が関でやれることはだいたい道筋をつけられたかな、というのがあり、より日本の活性化に力を入れようと思いました。
ー 須毛原
なるほど。その、日本が良くなってほしい、というモチベーションはどこから出ているのでしょうか。霞が関での仕事を通じてなのか、留学の時に知り合った人たちがきっかけになっていますか。
ー 朝比奈
振り返ってみれば、中学高校の頃から日本を良くしたいという想いはあったと思います。私も御多分に漏れず自己中でもあるので、自分が幸せになりたい。その自分とは何か、ということを大学時代でもずっと考えたりしていました。ミッシェル・フーコーではありませんが、人間そのものは空虚というか、まさに「人間」と書くようにいろいろな関係性でできていると思うんですよね。私と恋人、私と家族、私と地域、私と日本とか。
自分を幸せにすると言った時に、自分と恋人の関係を幸せにしたいのか、自分と家族なのか、といろいろ考えた時に、もちろん全部良くしたいのですが、一番どこに賭けるかというと、「日本国民としての私」というところがすんなり来たんです。これは誰が偉い、偉くないではなく、好き嫌いの問題ですよね。「日本を良くする自分」という姿が一番すっきりきたので、国のために、最初は政治家と思いましたが、やはり官僚だなと考えて、大学時代はそこから官僚になりました。今は民間企業の経営者ではありますが、公務員のような気持ちでやっています。
ー 須毛原
お話を伺っていて、まさにその辺りが朝比奈さんのモチベーションの核心なのかなという気はしていました。人材のことにしても地方とつなぐことにしても、想いが非常に高いと申しますか、近いところの利害ではなく、非常に志が高いことを感じました。
亀山社中もまさに坂本龍馬が日本を良くするという想いがありましたし、根っこが一緒なのかなというのを感じます。
若い頃から、自分とは何か、人間とは何かについて深く思索されたことが、ご自身を含めた身近な人から、ひいては日本全体を良くしたいという想いに繋がったことを知り、まさに維新の英雄坂本龍馬に通ずるものを感じました。
次回は朝比奈さんが見て来られた地方企業の実情や海外進出への課題、朝比奈さんが定義されている「始動者」についてお話を伺います。