「医学と工学の融合、新たな予防医学の世界へ」
新・社長対談第2回 株式会社AI予防医学研究所 代表取締役社長 酒谷 薫先生 Vol.1(全3回) 2026.06.03

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酒谷 薫先生プロフィール

【学位・資格】
医学博士・工学博士・脳神経外科専門医/ AICOG(※)開発者

【現職】
東京大学大学院新領域創成科学研究科 特任研究員/医療法人社団醫光会 理事長/(一社)脳とこころの健康科学研究所 理事長

【主な経歴】
米NewYork大学 医学部脳神経外科研究所(助教授)/米Yale大学 医学部神経内科(客員助教授)/中国・北京中日友好医院 脳神経外科 国際協力事業団長期派遣専門家/日本大学医学部 脳神経外科(教授)・工学部(教授)/ベルガモ大学(イタリア) 人間社会科学部、客員教授/東京大学大学院 新領域創成科学研究科(特任教授)


(※)【AICOG(アイコグ)とは】
株式会社AI予防医学研究所が開発した「認知機能健康管理AIサポートシステム」。
健康診断で得られる一般血液検査データを、AI(深層学習)で解析し、認知症や認知機能低下のリスクを推定する技術。
最大の特徴は、MRIやPET、特殊なバイオマーカー検査を必要とせず、通常の健診データだけでリスクを評価できる点。企業の健康診断や自治体健診のデータを活用することで、低コストかつ大規模な認知症リスク評価を、短時間で実現できる。

酒谷薫先生
  1. Vol.1「医学と工学の融合、新たな予防医学の世界へ」
  2. Vol.2「グローバルな経験と医学・工学の融合」
  3. Vol.3「幸せを目標に〜人生を豊かにする予防医学へ」

ー 須毛原

『新・社長対談』第2回目のゲストは、株式会社AI予防医学研究所 代表取締役社長の酒谷 薫先生をお迎えしました。

酒谷先生は、医学博士・工学博士として研究や臨床をされる傍ら、AIを活用した認知症リスク評価モデル「AICOG」を開発・運営するAI予防医学研究所を設立されています。本対談では、医学と工学を融合させた新たな予防医学の世界、特に社会的な課題である認知症予防への取り組み、そしてその活動の根幹にある先生の夢や熱意について深くお話を伺っていきたいと思います。

AICOG:AIを活用した認知症リスク評価モデルの事業化

ー 須毛原

私と酒谷先生のご縁をつないでくださったのが、AI予防医学研究所の共同創業者でいらっしゃる鐘明博さんです。まず、酒谷先生と鐘さんのご縁の発端について、お伺いしてもよろしいでしょうか。

酒谷

鐘さんとのお付き合いは、実はそんなに長くはないのです。3年ぐらい前ですかね。鐘さんの娘さんが東京大学の大学院新領域創成科学研究科の陳教授(陳 昱教授)のところに入学しました。一方、僕はかねてより陳教授とはAIの研究などでいろいろ情報共有をしていました。

陳先生が鐘さんの娘さんの入学を機に、IT企業を広くやっておられるお父さんである鐘明博さんに、酒谷がこういうことをやっていると「AICOG」のことを簡単に説明したんです。その後、オンラインで説明をする機会があり、その結果鐘さんがすごく興味持ってくれました。

もう一度お会いして細かく説明したら「ぜひやりたい」と言ってくださって、話がトントン拍子で進んでいきました。須毛原さんもご存知の通り、中国の方って、「これはいい」と思ったら一気に進むじゃないですか。本当にそんな感じで、鐘さんが加わったことで事業化が急速に進み始めたんです。

それでその翌年、2024年の6月に株式会社AI予防医学研究所を設立することになりました。ですから、本当に偶然なんですね。

鐘さんはすでに、中国国内で明月集団というIT企業、SEが1,300人ぐらいいる非常に大きな会社を運営されていて。自身も日本にもう30年近くおられて、日本の大手企業とも深い関係があって、非常に信頼できると思いました。話が非常に筋が通っているというか、しっかりしたバックグラウンドをお持ちだなという感じがしました。ご存知のように中国の方はいろいろな方がいますが、その中でも清華大学を出ているということもありますし。あとやっぱり人柄ですよね、信頼できる方だなという感じがしました。

研究成果を社会に還元するための起業

ー 須毛原

私自身は鐘さんを通じて、酒谷先生がAI予防医学研究所という会社をやっていらっしゃることを知りました。実は私は弊社を起業してから5年以上、日本の創薬メーカーのご支援させていただく中で、認知症予防というテーマは非常に社会的に大きな課題に取り組まれている企業さんが多いなと常々感じておりました。志の高さがすごいなと、つくづく感じています。

先ほど、会社を作られたのは約2年前とおっしゃいましたが、「AICOG」の研究自体はその前からやっていらっしゃったということで、2024年に改めて新たな挑戦として、AI予防医学研究所を立ち上げられたのは、酒谷先生の経歴の中でどのような位置づけになるのでしょうか。

ー 酒谷

そうですね。関係するなと思うのは、僕はニューヨーク大学に1987年から92年、もうだいぶ前ですが5年ほどいたんですよ。あの頃からですね。

アメリカでは大学の人間が起業するということはよくあったんですよ。僕のボス、ワイズ・ヤング教授(Dr. Wise Young)も、自分の技術をもとに会社を立ち上げられたんです。ですから、そのように特許を取って起業するというのは、アメリカではあの頃からもう普通にありました。

大学の人が自分の研究をもとに起業するというのは、単にそれでお金を儲けるということよりも自分の技術を社会に広める、そういうモチベーションがあるんだと思いますね。大学の中で研究費をとって開発するというのは、研究費が終わると終わってしまう。でも、社会のシステムの中に巻き込むことができれば継続するわけです。ですから僕も、自分が開発した「AICOG」を世の中に還元するために、そう思って始めたんです。

ー 須毛原

87年から92年にニューヨーク大学にいらっしゃって、起業されるまで時間がありますが、その間に他の事業とか起業されたことはありますか。

ー 酒谷

起業というか、産学連携って言いますよね。企業さんと共同研究する機会が多いんです。

2001年から10年間ほどですね。浜松ホトニクス株式会社という、光で有名な会社がありますが、昔、小柴先生(小柴昌俊教授)がカミオカンデでニュートリノを発見しましたよね。あの時のセンサーを作っている会社です。あの会社の社長が私のことを評価してくださり、寄付講座を日大の医学部に作ってくれて、そこで光で脳機能を見たりする研究を始めたんです。ですから、いろんな企業さんと一緒にやること自体、一般の大学の人間や医者よりは多いと思いますね。

医学の道へ 『ベン・ケーシー』が導いた脳外科医への道

ー 須毛原

ここでAI予防医学研究所の話から離れて少し遡り、酒谷先生が医学を志されたきっかけをお聞きしたいと思います。酒谷先生が医学の道に進む、そもそものきっかけはなんだったのでしょうか。

ー 酒谷

きっかけは2つありますね。1つは、実は父が眼科医なんです。それで東京オリンピックが開催された1964年。あの頃父のいる東邦大学に勤務することになって、1年間だけいたことがあるんです。それでまあ、やっぱり父に憧れますよね。憧れて、僕も長男なので、父親が大学勤務の後に開業したので、それを継ぐのかなと思っていました。

あの時代にアメリカのテレビドラマで『ベン・ケーシー』っていうのがあったんですよ。あのドラマが僕にはすごく強烈で、ベン・ケーシーっていうのは脳外科医なんですけど、それに憧れたんです。それで医学部に入って、卒業する頃に眼科に行くかあるいは脳外科に行くかで悩みました。脳外科に行くともう親とは全然違う道になるんですけれど、親の後を継ぐよりは自分のやりたいこと、良いと思うことをやろうということで、脳外科を選びました。

留学したニューヨーク大学の脳外科っていうのがまた非常に偶然なんですけれども、チェアマンであるランソホフ教授(Dr. Joseph Ransohoff)という有名な脳外科の先生のところに挨拶に行ったら、教授室に『ベン・ケーシー』の写真があったんです。

ー 須毛原

偶然だったんですか。

ー 酒谷

「なんでですか」って聞いたら、「私がモデルなんだよ」と。

ー 須毛原

え!それはすごい話ですね。

ー 酒谷

本当に。ベルビュー病院というアメリカでも最古の公立病院が医学部の附属病院だったんですが、7階に昔の手術室があるんです。そこが研究室になった。そこで「ベン・ケーシー」が働いていたんです。

ー 須毛原

かっこいいですね、その話は。

ー 酒谷

偶然なんですけどね。「ええっ!」と思って、そんなことがありました。

ー 須毛原

眼科医だったお父様からプレッシャーとかはありませんでしたか。

ー 酒谷

プレッシャーというのはずっとありましたよ。やっぱりね、長男でしょ。後を継がないといけないとか。

ー 須毛原

その時にお父さんはもう開業されていたと。

ー 酒谷

開業していました。神戸の田舎町で開業して、いわゆる名士ですよ。僕は比較されるわけです。嫌でしたね。

ー 須毛原

先生はご長男とのことですが、ご兄弟が継がれていたりするんですか。

ー 酒谷

いえ、弟は獣医で動物病院をやっていて、妹は体操の先生をやっています。

ー 須毛原

じゃあ病院は、どなたも継がれていないと。

ー 酒谷

僕はそういう道から外れたんですよね。一時そういう気持ちにもなったこともあったんですけれども、結局、それとは別の道に行きました。

親御さんからのプレッシャーを跳ねのけて脳外科医の道を選ばれ、その後ニューヨーク大学で起業文化を目の当たりにした先生のフロンティア精神が、今日の「ご自身の技術を社会に還元したい」という強い想いに繋がっていることを改めて感じました。

次回は、中国やイタリアでの異文化、工学という異分野の探求がどのように現在のAI予防医学研究所の取り組みに繋がったのかについて深掘りします。

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