社長エッセイ

社長の日曜日 vol.17 No Challenge. No Life. 2023.07.24 社長エッセイ by 須毛原勲

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 7月22日土曜日、気象庁は「関東甲信は梅雨明けしたとみられる」と発表した。この梅雨明けは、平年より3日遅く昨年より1日早いとのこと。今年の梅雨は東京では殆ど雨が降らなかった。気象庁によると、梅雨期間中の降水量は、107.5ミリで平年の256.4ミリの半分にも満たない量だったようだ。水不足が心配される。

 今日、7月23日は大暑。いよいよ本格的な暑さ到来だ。実際には、梅雨でも酷い暑さの日があり、先週たまたま真昼の渋谷のスクランブル交差点を渡っていたら日差しの照り返しと熱気で眩暈がしたほどだった。それでも早朝ランニングは続けている。走ることは諦めたくないが、時間を早めたり、体調を考えながらと思う今日この頃である。

 そんな中、多くの人に元気を届けてくれているのがロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手の活躍だ。大谷選手のその日の活躍の結果は、時差の関係で日本時間の午前中に速報が流れてくることが多い。7月23日時点で、投手として8勝。打者として、本塁打35本、ヒット数96、三塁打7本、打率.305。彼の活躍に多くの日本人が勇気づけられていると思う。私も本塁打のニュースを聞くたびに、励まされる想いである。

 大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・エンジェルスのホーム球場は、カリフォルニア州オレンジ郡アナハイムに位置する。私が初めて海外駐在したのは米国で、現地法人があった場所はカリフォルニア州オレンジ郡アーバイン。ロサンゼルス・エンジェルスはまさに地元のチームだった。赴任していた現地法人で特に親しくしてもらったアメリカ人同僚のトニーさんに招待されてVIPルームで夫婦揃ってエンジェルスの試合を観たこともある。その時には、将来日本人選手がこのスタジアムで大活躍するなど考えもしなかった。大谷選手の活躍のニュースを通じてアナハイムスタジアムの映像を目にすると、30年前のカリフォルニアでの生活を懐かしく思い出したりする。カリフォルニアの青い空と広い道。広大に広がるイチゴ畑やオレンジ園。今は、中国やアジアと関わるビジネスをしているが、そもそもの海外経験のスタートは、“花”のU.S.A. カリフォルニアだった。

 最近のスポーツの話題で、もう一つ心が動かされたものがあった。

 福岡で、第20回世界水泳選手権が開催され、19日にはアーティスティックスイミングのソロ・フリールーティンで乾友紀子選手が優勝し、2大会連続でソロ・テクニカルルーティンとの2冠を果たした。その優勝の瞬間、喜びに涙ぐむ乾選手と抱き合う井村雅代コーチの姿が画面に大きく映し出された。久しぶりに、井村雅代さんの名前を耳にした。

 今から15年前の2008年、私は北京で井村雅代さんとお会いしたことがある。当時の井村さんは、アーティスティックスイミング(当時はシンクロナイズドスイミング)中国代表チームの監督に就任したばかりだった。井村さんは、1978年から2004年のアテネオリンピックの後に退任するまでの26年間、日本代表のコーチで、日本のシンクロナイズドスイミングを牽引してきた人、日本のシンクロナイズドスイミングの顔と言ってもいい人。その井村さんが2008年にライバルと目される中国チームの監督に就任し、日本では非難の声があふれていた。

 2008年北京オリンピック開催の年、東芝中国社は中国のシンクロナイズドスイミングチームと高飛び込みの花形選手の郭晶晶さんをスポンサーとして支援し、テレビ広告や看板等に起用していた。当時、私が担っていた事業では、中国のシンクロナイズドスイミングチームをフィーチャリングして上海虹橋空港の前に大きな看板を制作したり、郭晶晶さんを使ったTVCMをオリジナルで制作したりして、多くのメディアで中国のシンクロナイズドスイミングチームと高飛び込みの郭晶晶さんを応援する広告キャンペーンを展開していた。

 その縁で、井村雅代さんとの会食の機会を得ることが出来たのである。3時間近くの会食の間、とにかく圧倒されたことを覚えている。会食の間、井村雅代さんは情熱的にいろいろなことを話してくれた。

 「なぜ、非難されることを覚悟で、中国チームの監督を引き受けたのですか?」と失礼とは思いながら聞いてみた。日本チームのコーチをしている時から、対戦相手として中国のシンクロナイズドスイミングチームを観る機会が度々あったそうだ。中国人選手は、背が高くて手足も長くてスタイルも抜群。身体的な素質は日本人以上にもかかわらず、入水前の入場の際の歩き方、表情、立ち振る舞いに始まって至る所で基礎が全く出来ていない。「誰かがきちんと教えたら、ぜったいに強くなるはず。」「もったいないな。」といつも思っていたという。

 日本代表のコーチを退いた後、しばらくの間、彼女は自分のクラブである井村シンクロクラブ(現、井村アーティスティックスイミングクラブ)に戻って、子供達を指導する日々だったという。子供達にいろいろなことを教えてその子達が上達し親御さんに感謝されたが、そういう生活に満足感を抱けなかったという。今まで自分が培ったこと、学んだことを、ただ教えることを繰り返している日々。自分は何も学んでいない。何も挑戦していない。

 彼女は思ったそうだ。「挑戦しない人生なんて、人生ちゃうやん。」

 2008年、日本代表チームのコーチとしての居場所を失った井村さんに中国代表チームのコーチの話が来たとき、彼女は「これで、挑戦できる!」と思ったそうである。そのチャレンジの場がたまたま中国代表チームだったというだけであり、中国代表チームを引き受けることに関する「中国だから」という葛藤は全くなかったという。メディアが批判するそのポイントについて、全く考えてもみなかったし、その意味が全く理解出来なかったそうだ。

 2008年8月23日。私は、北京国家水泳センタ-(通称、ウオーターキューブ)で、北京オリンピックのシンクロナイズドスイミングの団体戦決勝を観戦していた。井村さん率いる中国代表チームは銅メダルを獲得。中国のシンクロナイズドスイミング史上初のメダル獲得。快挙である。前回大会銀メダルだった日本チームは、5位の結果となってしまった。

 表彰式が終わった直後、選手達は真っ先に井村コーチに駆け寄り、彼女の首にメダルかけて抱き合っていた。その喜びは表彰式の後もしばらく続いていた。会場から殆ど観客がいなくなった後もその光景は続き、私はその姿に涙が止まらなかった。

 当時、中国の販売現法の責任者だった私は、毎年、販売目標が上がることに文句を言う販売代理店の幹部に対して、「プレッシャーがなければ面白くないでしょう。没有压力。没有意思。」(No Pressure. No Fun.)と、よく宴会の場で冗談っぽく中国語で言っていた。

井村雅代コーチにお会いして、お話をうかがって、下の句が加わった。

「没有压力。没有意思。」(No Pressure. No Fun.)

「没有挑战。不是人生。」(No Challenge. No Life.)

「プレッシャーがなければ面白くない。」

「挑戦しない人生なんて、人生ちゃうやん。」

7月23日記

by 須毛原勲

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