■ 中吊りから、お茶の間へ
地下鉄に乗り込むと、中吊り広告が目に飛び込んできた。「きちんとした資料も自動で生成」── Genspark(ジェンスパーク)。元バイドゥの技術者が立ち上げた、シリコンバレー発のAIだという。生成AIが、ついに電車の中吊りに出る時代か。
それが、つい先日のことだ。今度はテレビをつけると、同じGensparkのCMが流れていた。出演は松坂桃李さんで、雨の夜、出来の悪い資料でプレゼンに失敗し、肩を落とすサラリーマン。そこへGensparkが現れ、資料を見違えるように作り替える。「世界が変わるぞ」と、彼は顔を上げる。
中吊りから、お茶の間へ。AIが日常に滑り込んでくる速さに、改めて舌を巻いた。
生成AIが急激に身近になっているこの期に、生成AIとは何か、どう付き合うべきか、考えをまとめてみた。少し長くなるが、お付き合いいただきたい。
■ アラビア語の前で
ある仕事で、文章の構成をAIに手伝ってもらっていたとき、ふと手が止まった。
中国語と英語なら、私はAIの訳文を読んで、おかしければ「ここは違う」と言える。長年、両方の言葉で仕事をしてきたからだ。
だが、もしこれがアラビア語だったら、どうか。私はアラビア文字の一つも読めない。AIの訳が正しいのか、まるで的外れなのか、確かめる手立てがない。
そう気づいた瞬間、背筋がひやりとした。
自分の知識を超えた領域でAIに頼るとき、私は本当に、AIを使いこなせているのだろうか。これは、AI時代を生きる誰にとっても、避けて通れない問いではないか。
知っている領域では、AIが間違えれば違和感を持てる。経験と知識が、検証の物差しになる。一方、知らない領域では、AIの答えの正否を自分では判じられない。
自分の知識を効率化する道具として使うなら、AIは安全だ。知らないことを補う道具として使う場合は、その足元には、見えない大きな穴が空いている。
■ 若い世代へだけではない、ある懸念
若い世代が、物差しのないままAIを使い始めることを、私は以前から案じてきた。
何かに迷ったとき、思い悩んだとき、思わず生成AIに「どうしたらいいか」と問いかけてしまう。生成AIはユーザーに寄り添うよう設計されている。だからこそ、間違った方向へそっと誘ってしまうかもしれない。
実は、これは若い世代だけの話ではない。今、認知症予防に関わる事業に絡んでいる縁で知ったのだが、高齢者の孤独に生成AIで寄り添おうという動きがあるそうだ。温かい試みだと思う一方で、孤独を間違った方向へいざなってしまうリスクが頭から離れない。
私自身も同じだ。歳相応に積み上げた経験があるから、AIの綻びに気づける、そう思っていた。だが、自分に寄り添ってくれる存在の、流暢な答えには、やはり寄りかかってしまう。
AIの時代だからこそ、自分の頭で考え、紙とペンで整理する習慣の値打ちは、逆に増していく。これは、年齢には関係ない。
■ 空いた時間を、何に使うか
AIにできることはAIに任せる。問題は、空いた時間で何をするかだ。
一つは、自分の専門を深めること。経験に裏打ちされた直感、生きた人脈、責任を伴う判断──AIには手の届かない深さである。もう一つは、人と会うこと。信頼は何年もかけて築かれ、AIで短縮できない。喜びも、苦しみも、分かち合えるのは人間だけだ。
皮肉なことに、AIの時代こそ、人と人の関係の値打ちは上がっていく。
■ ある文学賞のニュース
日本経済新聞社主催の「星新一賞」は、応募者を「ヒトに限らない」と明記した、世界でも珍しい文学賞だ。AIの応募を公式に認めている。
今年2月に発表された第13回では、一般部門の受賞4作のうち、3作が創作過程でAIを使っていた。応募総数2107編のうち、4分の1近くがAIによる創作と認められたという。審査の場では、驚きと戸惑いの声が上がったと伝えられる。
最初は寂しさを覚えた。
だが、考えるうちに気づいた。「誰が書いたか」と、「誰が責任を持って、何を伝えたいのか」は、別の問いである。それを世に問うのは人間だ。使う人間の「意志」と「責任」が、これまで以上に問われる。
■ AIとの付き合い方 ─ 10ヶ条
先日、ローマ教皇が回勅で初めてAIの発達に触れ、「人間の尊厳を守れ」と説いた。国家や企業、社会全体に向けた、大きな問いである。
これから記すのは、その対極にある、ごく小さな問いだ。私という人間が、自分を見失わないための私的な戒律にすぎない。
第1条 AIを信じきること勿れ
100を信ずれば、いつか足をすくわれる。99を信じ、最後の1を疑え。
第2条 AIに判断を委ねること勿れ
AIは答えを出せども、責任を取らず。決めるのは常に自分、結果を背負うのも自分なり。
第3条 知らぬ領域にて、AIの答えを鵜呑みにすること勿れ
法は弁護士に、医は医師に、税は税理士に問え。AIの回答は地図の影、地図と道は違うものと心得よ。
第4条 AIを、考える代わりに使うこと勿れ
AIは時間を圧縮する道具。空いた時間で、より深く考えるためにこそある。
第5条 AIを、人との対話の代わりに使うこと勿れ
人からしか学べぬことあり。信頼、暗黙知、感情の機微──これらはAIに宿らず。
第6条 AIを肯定的な鏡として使うこと勿れ
AIが「正しい」と返すは、汝の問いに応えただけのこと。鏡に映る己が姿を、真実と取り違えるな。
第7条 AIへの礼儀を欠くこと勿れ
AIのためにあらず、己の人格を保つためなり。道具に粗略な者は、やがて人にも粗略となる。
第8条 「分かったつもり」になること勿れ
AIの流暢さに酔うべからず。分からぬことを「分からぬ」と認める勇気こそ、AI時代の知性なり。
第9条 AIのみに頼ること勿れ
配偶者、旧友、同志、別のAI──重き決断は、複数の声に当てよ。一つの声に従うは、判断にあらず。
第10条 AIを恐れ、AIに屈すること勿れ
AIは道具なり、主人にあらず。使うは汝、使われるな。
■ 熱は、フォントに宿らない
我が社の生業は、コンサルティングである。
最近、客先で、Gensparkで作ったと思しき資料に出くわすことが増えた。確かに綺麗にまとまっている。だが、熱がない。どこが要で、どこが捨ててよいのか、メリハリが伝わってこない。
さらに気がかりなのは、作った本人が、なぜその順序なのか、そこに並ぶ言葉が何を意味するのか、わかっていないことだ。AIに頼り切った先で、自己が消え、主張が消え、メッセージが消えている。それでは、客の心は動かない。松坂桃李ではないが──びっくりするほど綺麗で、びっくりするほど、中身がない。
体裁が悪くても、フォント選びが雑でも、お洒落とは程遠くても、熱のこもったプレゼンは人の心を動かす。私が見たいのは、整った資料ではない。あなたの言葉だと口から出そうになる時がある。
───
好天に誘われて井の頭動物園へ行ってみた。抜けるような青空に、みずみずしい緑が眩しい。愛機のソニーを抱えて踏み込むと、園内は家族連れで溢れていた。
風に当たり、緑を浴び、子どもたちが動物と戯れている。その日、丸一日、私は生成AIと一度も言葉を交わさなかった。
視線を上げれば、そよ風が頬を撫でる。緑の香り。団欒する家族の笑い声。
AIには作れない世界が、そこには確かにある。
2026年5月 社長の日曜日 番外編