スタッフエッセイ

私の中国見聞録① 茶屋から見た中国 2021.07.12 スタッフエッセイ by 板橋清

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 2017年秋から翌年の夏まで、私は中国・北京大学に留学した。この連載では、1年間の北京生活を通じて私の目に映じた中国の様々な一面を紹介する。とはいえ、中国についてまとまった知識を得るのに1年という時間はあまりに短く、この国はあまりに巨大だ。だから私がここで語るのは、断片的なスナップショットに過ぎない。しかしそんな断片も私にとって、それまで何となしに抱いていた隣国に対するステレオタイプを相対化する上で大いに役立った。

お茶のまち

 初回の今日は、私が北京で一番気に入っていた街の話をしよう。北京市街の南西に、馬連道という通りがある。一般には大して有名な場所ではないが、中国の喫茶愛好家の間には広く知られているだろう。というのも、数百メートルある通りの両側に茶葉専門店が所狭しと並んでいるからだ。その数は1000以上とも言われる。私はどういうわけか中国茶というものが前から好きだったので、留学早々訪ねてみることにした。

 数えきれない茶屋の列から適当に選んで入ってみると、奥に5、60代と思しき女性が一人座ってお茶を飲んでいる。「おいで」と手招きされてその前に座ると、手際よくお茶を淹れて出してくれた。「いいところに来たわ、お客がいなくてね。これ飲んでみなさい、美味しいのよ」。一杯飲み終わると、また一杯。次から次へとお茶が出される。結局、昼に行ったのに夕方まで居座ってしまい、帰るころにはすっかり彼女とも仲良くなった。

 それ以来、私は休みになるとしばしば彼女の店を訪れた。もちろん茶葉も買って帰るが、それ以上に茶を飲みながら彼女や他の客とおしゃべりするのが楽しい。本来茶葉を売る場所であって喫茶店でも何でもないのだが、なぜかそこではいつも茶卓を囲んで四方山話が繰り広げられていた。

昔話

 海外生活とはいえ大学の中にいると、似たような属性の人とばかり関わりがちだ。大都市出身で、比較的余裕のある家庭に生まれた、10代後半から20代の若者。湖南省の茶畑から商売のために北京に出てきたという、このお茶屋の店主のような人とは、無論ふれあう機会がない。中華人民共和国の比較的初期に生まれ、毛沢東時代に少女期を過ごし、改革開放後の急速な経済発展とともに年を取ってきた彼女の話は、私の馴染み深い世界とは全然違っていた。

 とりわけ印象に残っているのは、彼女が1960、70年代という時代に強い郷愁を感じているように見えたことだ。「あの頃はよかった」と彼女は繰り返した。「毛主席の時代は素晴らしかった。みんな心が豊かだったわ。金持ちになってから中国は全然だめね」。この言葉は私にとって、少なからず衝撃的だった。少なくとも今の日本で、その時代がポジティブな歴史として語られるのを、ほとんど聞いたことがなかったからだ。

 過去を再評価すべきだなどと主張したいのではない。彼女の記憶に一切の美化がないなどと言うつもりもない。だからと言って、政府による歴史の印象操作がどうのなどと言い立てる気も全くない。ただ、実際の歴史を生きてきた人の感覚が、いかに外側から語られる歴史に回収しえないものかを、今さらのように思い知ったというだけだ。しかしまた、そうした多種多様な人々の感覚に寄り添う以外に、文化理解などというものはありえないだろう。

 「お茶は良いわ」と彼女は言い、おもむろに茶を啜る。「みんなが集まって、ゆっくりお茶を味わう。それより大事なことなんて結局、人生にないわよ」。そう語る彼女の脳裏には、村の老若男女が人民公社の食堂に集まって飯を食った、少女時代の記憶が浮かんでいたのかもしれない。私も彼女を真似て茶杯を持ち上げ、そっと口に茶を含む。少し、苦い味がした。

by 板橋清

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