日本のバブル経済期との比較
「太陽の下、新しきことなし」——今の中国の状況は、日本の方々にとって、決して見知らぬものではないかもしれません。
1980年代末、日本はかつてない規模の不動産と株式市場のバブルを経験しました。東京の都心部の地価は、アメリカ全土を買えるほどの水準にまで高騰したと言われています。当時の日本の家庭では、「住宅は絶対に値下がりしない」という考えが当たり前であり、住宅ローン、投資、結婚計画など、すべてが「家の価値は上がり続ける」という信念を前提として組み立てられていました。
しかし、1991年にバブルは崩壊します。不動産価格は一夜にして急落し、もたらされたのは単なる資産の目減りにとどまらず、十年以上に及ぶ「信頼の崩壊」でもありました。
バブル崩壊後の十数年間、日本は「失われた10年」、さらには「失われた20年」と呼ばれる時代に突入します。若者は結婚を躊躇し、住宅ローンを恐れ、生涯を通して借金を抱えることへの不安が広がりました。親世代も、資産は自然に増えるという考え方を信じなくなっていきました。
この話、どこかで聞いたような気がしませんか?
現在の中国経済は、そこまで深刻な状況には至っておらず、経済の基盤は依然として安定しており、政府にも対策を講じる余地があります。しかし家庭のレベルにおいては、「住宅はもはや安全な資産ではないのでは」「将来は思ったほど確実ではない」といった感情が、静かに広がりつつあります。
ただし、異なる点もあります。日本では、この危機を経て、賃貸住宅に住むことが「失敗」ではないという認識が徐々に広まり、貯蓄中心の堅実な資産運用スタイルが定着していきました。若者たちは「一攫千金」よりも「生活のバランス」を重視するようになりました。
一方、中国では、いまだに「不動産以外の安心できる選択肢」が明確に見えてきていないのが現状です。
中国のSNSでは、「日本社会は中国社会のひとつ前のバージョン」と、ゲームの用語を用いて皮肉を言う声も見かけます。また、多くの専門家や一般市民が、日本が住宅価格下落期をどう乗り越えたのか、その経験や教訓を学ぼうとしています。
複雑な分析も多くありますが、私の心に最も残ったのは、ある一言でした。
「経済には周期があるけれど、人は若さを取り戻せない。人生にあと何回、20年が待てるのだろうか?」

資産への不安が私たちの生活にもたらす影響
「毎日のコーヒーをスターバックスから瑞幸(中国のリーズナブルなコーヒーブランド)に変えました」「もう気軽に投資できません、損するのが怖くて」「銀行の大口定期預金がいいですね、利率は低いけど、損しなければそれでいい」——こういった言葉が、今や多くの20〜30代都市部中間層の会話でよく聞かれるようになりました。
住宅価格の伸びが止まったことで、静まり返ったのは不動産市場だけでなく、私たちの日常の細部にまで浸透するような「心理的な不安」がもたらされました。
かつて住宅価格が右肩上がりだった時代には、「どうせ持っている家の価値が毎年何十万元も上がるのだから」と、安心して前借り消費ができました。クレジットカードの請求や「花唄」(アリババ系の分割払いサービス)の利息なども、それほど気にならなかったのです。
しかし、いざ住宅価格が上がらなくなり、さらには売ることさえ難しくなった今、これまで「不動産は必ず値上がりする」という信念の上に築かれていた安心感が、少しずつ揺らぎ始めています。
人々の「不安」は常に存在してきました。ただ、以前は「家が買えない」「順番待ちに並べない」といった不安でしたが、今の不安は「すでに持っている不動産が値下がりするのではないか」というものに変わりつつあります。
昔は住宅ローン金利が高くても、若者はこぞって「まずは家を買う」という選択をし、親の資金も惜しまず投入していました。今では、家を買うより「賃貸+資産運用」を選ぶ若者が増え、「子どもを産まず、家も買わなければ、人生にそれほど大きなプレッシャーはない」という考え方が広がりつつあります。
価値の上昇が保証されない未来において、私たちにできることは「冒険をせず、今ある安心感を守ること」だけなのかもしれません。
「私たちの世代は“時代の負の恩恵”をすべて受けている世代だ」——ある00後(2000年以降生まれ)の若者がSNSでこうつぶやいていました。
住宅価格は上がらず、学歴の価値は下がり、社会全体が過度な競争状態に陥り、高校・大学・公務員試験の競争も激化、そして就職難はもはや当たり前。社会のあらゆるキーワードが、若者にとっては現実のプレッシャーとなってのしかかっています。
さらに厄介なのは、かつて「タイミングを見てうまく立ち回れば儲かる」とされた投資のパターンが、今ではほとんど通用しなくなっていることです。
多くの親世代が築いた資産の背景には、不動産価格の上昇という「時代の追い風」がありました。率直に言えば、それは投資の腕というより、時代の運に恵まれた結果だったのです。
そして、そのサイクルが終わった今、私たちに突きつけられている問いはこうです——
「もし家がもう値上がりしないとしたら、私たちは何を頼りにお金を増やせばよいのでしょうか?」
これこそが、今の若者と中間層の「集団的な資産不安」の核心なのです。お金はまだあります。でも、それがより多くの「お金を生む」ことが、以前ほど簡単ではなくなったのです。
株や投資信託に挑戦する人、副業やネットショップを始める人、あるいは本気で金(ゴールド)や保険、年金について研究し始める人もいます。
それこそが、もしかすると「ポスト不動産時代」の普通の人々の投資スタイルなのかもしれません。——分散的で、慎重で、現実的で、「一夜にして大金持ち」などという幻想を抱かない姿勢です。
次回第3回は、未来への展望をお伝えします。
