「震災からの再生。食と酒を通じて広がる多様なネットワーク。」
新・社長対談第3回 有限会社エコ・ライス新潟 代表取締役 豊永 有 氏 Vol.3(全5回) 2026.07.14

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有限会社エコ・ライス新潟 代表取締役 豊永 有氏にお話を伺う第3回。

今回は経営に大きな転換をもたらした2004年の中越地震と、その経験から生まれた酒造りや社会活動などについて触れていきます。

豊永 有氏 プロフィール

【現職】
有限会社エコ・ライス新潟 代表取締役
農地所有適格法人株式会社和 取締役
ながおか若者しごと機構 アドバイザー
新形質米利用研究会 会長
長岡機能性食品創造研究会 事務局長
新潟県山田錦協議会 事務局長

【資格】
農産物検査員(農水大臣認定)/防災士/その他、民間資格15

【主な経歴】
IDSデザイン大賞受賞、IDS THE BEST賞受賞
フードアクションニッポンアワード 優秀賞5回
青少年の体験活動推進企業 文部大臣賞受賞、審査委員会奨励賞受賞
輸出事業計画 農林水産大臣認定
地域未来牽引企業選定 経済産業大臣認定
災害食大賞2018 特別賞、復興支援賞受賞
民間放送連盟テレビ報道番組部門優秀賞受賞
フジテレビドキュメンタリー大賞特別賞

他、アルファ化米食品をはじめとする米製品の製造に関する特許、実用新案、商標権を多数取得

豊永有氏
  1. Vol.1「新潟から世界へ。エコ・ライス新潟の挑戦。」
  2. Vol.2「農業の原点となったタイでの経験とエコ・ライス新潟の成り立ち。」
  3. Vol.3「震災からの再生。食と酒を通じて広がる多様なネットワーク。」
  4. Vol.4「海外から見た日本米の魅力。米文化を世界の食卓へ。」
  5. Vol.5「次世代の農業へ。垂直型太陽光パネルと食の未来図。」

エコ・ライス新潟の在り方を決定づけた新潟県中越地震の避難所での生活

ー 須毛原

エコ・ライス新潟さんを設立された後、2004年に新潟県中越地震が起きています。本当に大きな地震で、10万人ぐらいが指定避難所で生活する中で、人工透析の方や食べられない方々を見て衝撃を受けた、というお話を伺いました。あの時の経験というのは、豊永さんの中でどのような位置づけになっているのでしょうか。

ー 豊永

中越地震がなければ、今のエコ・ライス新潟のスタイルは絶対にありませんでした。言い方は変かもしれませんが、新潟は量だけで言えば米に関しては日本一の産地で、その中で有機栽培をやるという私たちにとってのライバルは魚沼米しかないんです。秋田でも山形でもなくて、魚沼の米が唯一のライバルだと思っていました。非常に鼻が高かったというか。

ー 須毛原

コシヒカリの中でも魚沼産って値段も高いですけれど、美味しいんですよね。

ー 豊永

魚沼は土地とか気候が良くて美味しくなっていますが、私たちはそこにプラスして努力して、農薬も化学肥料も使わない。だから絶対私たちのほうが上だと、ある意味高飛車な気持ちでいたのです。ただ中越地震で、実はそういうお米さえ食べられない方がたくさんいることを知りました。もうこれは衝撃的でしたよね。当時は40歳過ぎだったんですけど、これから例えば30年後、40年後、お米を食べられる人はどんどん減るだろうと。そうした時に、例えば透析を受ける方やアレルギーのある方でも食べられるものを作れば、これは確実なマーケットなのではないかと。そこで考え方が変わりました。

ー 須毛原

地震があった時に、避難所などで実際避難されている方とお話された経験はあったんでしょうか。

ー 豊永

そうですね。当時私には子どもが4人いて、6年生、5年生、1年生、1歳でした。その時に避難所に行っていろいろなことを学んだんですよ。

一つは、避難所には赤ん坊からお年寄りまでいるから、生活時間帯が違うわけですよ。例えば若い人は夜中まで起きているけれど、年寄りは割と早く寝るじゃないですか。そこでいざこざが起きる。例えば寝たきりの人がいるとやっぱり下の臭いが蔓延するから、子どもたちはどんどん食欲が落ちてくる、とかですね。

子どもたちは合宿をしているようなもので、友達と一緒に毎夜いるわけで大騒ぎするんですよ。それを止められない。そこには病気の人も食べられない人もいる。すごいカオス状態で。ものすごく勉強になりました。それが今の原点ですよね。

ー 須毛原

そこからエコ・ライス新潟さんの基本的な方針が固まったみたいな。

ー 豊永

そうですね。方針というか勝手にやっていたので、他の農家たちはまだそういうことを分かっていなかったから、「なんでお前は自分たちが一生懸命作った米をちゃんと売らないんだ。」「なんでコシヒカリ以外の米なんだ。」と最初はすごく反対されました。でも今となっては、低グルテン、低タンパク米といわれているものも、私どもの中心になってきています。

70の農家と35の酒蔵をつなぐネットワーク

ー 須毛原

当時一緒にやられていた農家の方は、今も一緒にやってらっしゃるんですか。

ー 豊永

やっている人もいますし、ずいぶん代替わりされました。もう時間が経ちましたので。

ー 須毛原

何団体くらい、いらっしゃるのでしょうか。

ー 豊永

最初は法人個人含めて15、6団体。今は70団体ぐらいですね。増えました。

ー 須毛原

それは皆さんが誘い合って増えたのですか。あるいはそういう啓蒙活動とかもされているのですか。

ー 豊永

両方ですね、自然に増えていったのと、もう一つは山田錦とか新しいお米をやったからです。それがメディアに出て、興味を持った方が入ってきてくれたりしました。

ー 須毛原

山田錦をやるというのは、エコ・ライス新潟さんが農家の方にやりませんかって言うんですか、それとも農家の方が自然とやろうとしたんですか。

ー 豊永

一番初めは16年前に『獺祭』の今の会長、当時の社長に「山田錦を作ってくれないか。」と頼まれたのがきっかけです。山田錦栽培会というのを作った時に、いろいろな人に声をかけたんですね。実際にやる人は半分ぐらいだったんですけど。

ー 須毛原

それはお酒にするためということですか。

ー 豊永

そうです。

ー 須毛原

今、『獺祭』の話も出ましたけど、全国35の酒蔵に山田錦を提供されているということですけども、35でも十分すごいと思うのですが、35って都道府県だけだといくつになるのでしょうか。

ー 豊永

秋田、山形、岩手、福島、新潟、神奈川、長野、石川、岐阜、愛知、大阪、京都、奈良、山口、広島、島根、あと愛媛、高知、北海道、佐賀で20ですね。

ー 須毛原

47都道府県だから、約40%以上ということですね。すごいですね。どんどん開拓していったんですか。

ー 豊永

一つは春陽(しゅんよう)という、いわゆるワインのようなお米があるのですが。私たちは透析患者用にやっていたんですが、奈良の蔵元の方がこのお米を使って酒を作りたいと言ってすごくいい酒ができて、それを飲んだ蔵がどんどん広がっていったんですね。だから今は透析患者用よりも酒用の春陽という評判が広がっていて、ちょっとびっくりしました。こんなに広がるもんだと思って。

ー 須毛原

『獺祭』はすごく有名で、私も大好きなお酒の銘柄のひとつなんですけど、同じ山口県のお酒で『夢雀』というお酒がありますよね。私は1回ご馳走になったことがありますが、あれもお米は伊勢のお米で、希少価値が高くて700mlで何十万もするという話も聞きました。やはりお米の種類で全然味が変わってくるものなんですね。

ー 豊永

そうですね。で、私たちは例えばこの『東洋美人』さんだとこの生産者の方、この近くの生産所なんですが、この生産者さんが喜んでくれなければ酒を作っても意味がないと思っています。

だからみんな自分たちのラベルの酒は非常に買われるし、贈り物にもするし。結局農業の問題というのは、自分は出荷するけれど誰が食べていてどこで消費されているのかを全然知らないんです。例えば松阪牛の生産者が松坂牛を食べるかと言うと、食べないわけですよ。商品としてしか出さない。でも私たちは、作ったからには自分たちも楽しもう、そうじゃなかったら意味がない、と思っています。

ー 須毛原

農産物でよく、「この農家が作りました」というのを見たことはありますけど、生産者の名前を記したお酒はお店ではあまり見たことがないですね。

ー 豊永

そうですね。だから私たちは、やはり生産者の方たちを前面に出していくってことをしているんです。いろいろな方のものがあって、例えばラベルとかでも、フランスの方には、フランスのラベルを作ることもやっています。あと、私は『〇結』(えんむすび)という酒を作っているので、例えば、結婚記念日のお酒とか、結納のお酒で使ってもらうとかっていうのは、ただ単に日本酒として売るのではなくて、そういう思いを込めたものをやりたいなと思っています。

ー 須毛原

お話を伺えば伺うほど、豊永社長は本当に、アイデアマンですよね。湯水のごとくアイデアが出てくるというか。それと同時に、好奇心が豊富で、人に会って、人の話を聞いておられるのではないかと。先ほど仰っていたイタリアの方と11日間いるというのも、人によってはお金をもらっても嫌だというようなことだと思います。将来的にビジネスになるとしても、まだビジネスではないのにもかかわらずやっていらっしゃる。おそらく豊永社長は、その時間が楽しいんですよね。

少し話がずれてしまうのですが、どうしてそんなに好奇心が旺盛なんですか?そもそも、17歳の時に、タイへ、それもカンボジアからの難民が住んでいるところに行くというのも、好奇心以外の何物でもないですよね。いろいろな人と会うのにも、そういうエネルギーと言うか、力が必要だと思うんです。それはどこから来ているのでしょうか。

ー 豊永

3人兄弟の2番目だったからでしょうか……適当に育てられたので。

ー 須毛原

転勤族のお父様のお仕事の関係でいろんなところに行ったのも要因かもしれませんが、バイタリティーがものすごいですよね。その元にあるのが多分好奇心なのかなと。あとは人を喜ばせたいっていう。

ー 豊永

それはあるかもしれないですね。

ー 須毛原

今お話されていて、生産者の方の名前がボトルにあるというのを話されていた時は本当に楽しそう、嬉しそうですよね。本当に、人を喜ばせたいというお気持ちが強いんだなと感じました。

「復活」を支える絆:酒蔵と車いすラグビー支援

ー 須毛原

現在、酒米も含めて70社以上の農家さんとやり取りされているとのことですが、その連携、生産者の農家さんや団体とのネットワークをどのように維持されているのでしょうか。

ー 豊永

例えば、凧をあげるとか、ですね。今回も新潟獺祭と、西日本の春陽というお酒を使ってくれている方たちをお呼びしたイベントを開催したり、生産者とそういう場で交流してもらったりというのはたくさんやっています。

ー 須毛原

このイベントも豊永さんが自分で企画されるんですか。

※イベント:「新潟獺祭と新潟発全国銘酒飲み比べ」エコ・ライス新潟様主催で2026年8月7日に開催予定

ー 豊永

そうですね、会社で。今回は4回目なんですが、毎年夏と冬にやろうという形でやっています。

ー 須毛原

酒蔵さんとはどのようにコミュニケーションされているのでしょうか。20道府県の中で、今、35社の酒蔵さんとお付き合いがあるとのことですが。

ー 豊永

酒蔵さんでもお付き合いの濃淡はかなりありますよ。単に「米だけ入れてよ」というところもありますし、獺祭さんのように一緒にニューヨークでイベントを開いたりするほど深く付き合っているところもありますし。例えば“加賀の井”という、新潟で一番古い蔵は、全焼してしまったのを立て直す時、環境アセスメントから何まで全部一緒にやらせてもらったりもしました。“加賀の井”と“獺祭”が一番つながりが太いんですよね。

ー 須毛原

飲み比べのイベントはこの酒蔵さん(加賀の井酒造)とやるんですか。

ー 豊永

そうですね。加賀の井酒造というのは10年前、12月の本当に暮れに近い時期の糸魚川火災で燃えて、全部なくなったんですよ。そこをずっと私どもも応援していて、今年(2026年)がちょうど10年目なんです。だから加賀の井酒造さんにも来てもらって、生産者たちも応援してくれたので感謝を表す場にしたいなと。

ー 須毛原

応援の仕方というのは、どういう応援の仕方になるんでしょうか。

ー 豊永

一つは、生産者がちゃんとお米を出してくれることです。加工用途米という制度があって国に申請するんですが、申請すると安くなるんですよ。それから、蔵が糸魚川という町の真ん中にあったのですが、地域全体が燃えて全部なくなってしまった。その地区は本来はそこに工場を建てちゃいけないんです。だけど市長さんとかもその街のシンボルがなくなるのが困るということで、例えばエコ・ライス新潟としては、環境アセスメントを14項目ぐらい県と市で公聴会開いて、同意を得て元の場所に酒蔵を作ったんですね。これが大変でした。水質とか騒音とかトラックの出入りとか。

ー 須毛原

すごいですね。相当大変な作業を、そこにいた人たちと協力してやられたのですね。

ー 豊永

本当に全く何にもなくなってしまって。江戸時代から8回火事にあっている蔵なんですよ。

ー 須毛原

それってやっぱり、空っ風が原因というか。

ー 豊永

そうなんですよ。冬、山から風が来るんですね。日本海側ってよく冬に火事、例えば山形の酒田なんかも大火事がありましたね。加賀の井の酒蔵を復活というのと、白藤(※1)という私たちが世界で唯一作っている江戸時代のお米を復活させた復活。それから、車いすラグビーのパラリンピック優勝選手と作ったお酒(※2)。ここでそのお酒を作ったんですよ。だから、復活と復活と復活。事故とかで障害を負った方の人間復興を含めて金メダルを取ろうよ、という。

※1:昭和初期に絶滅した、幻の酒米。白藤プロジェクトにより栽培が復活。
※2:「白藤 郷」車いすラグビーの優勝選手が仕込んだ純米大吟醸酒。売上の一部を車いすラグビー連盟への支援金として寄付。
https://eco-rice.jp/wp-content/uploads/60c0b56199cd8c3608826ef865e3151c.pdf

ー 須毛原

車いすラグビーの支援をされているんですか。

ー 豊永

毎年9月にローポインター大会っていうのをやっています。彼らは金メダルチームなんで、長岡でメダルを取ったあとの凱旋試合を主催させてもらいました。

ー 須毛原

ラグビーは、僕も高校時代と、社会人になってから、東芝本社にラグビー部を作ってやっていました。
テレビで車いすラグビーを見て、相当ハードなすごいスポーツだな、応援したいなっていう気持ちを実は密かに持っていたんです。

ー 豊永

9月の26、27日に越後湯沢でローポインターズ大会というのをやっているんですよ。それも今年4年目なんですけど、私たちはご飯やお酒を出したり、弁当を作ったり支援していて。良かったら来てください。

車いすラグビーは尾西食品さんの取締役もハマっちゃって、一緒に毎年行っています。遠征の時に、実は私たち、アルファ米を寄付しているんですよ。遠征先に炊飯器を持って行ったら大変じゃないですか、応援スタッフも。アルファ米なら水を入れれば食べられるというので、そういう応援をしたりしているんです。

本当は名だたる企業がトップスポンサーなので、私たちが勝手にやっちゃいけないんですけど、オリンピックの時はいいよっていうので、車いすラグビーの支援をやらせてもらいました。金メダルを取るぞと応援して、実際に金メダルを取ってくれたので非常に嬉しかったです。

「復活」をかけて加賀の井の蔵で作ってもらって、「復活」をかける人たちを応援して、そういうのはやっぱり楽しいじゃないですか、人生は、お金を儲けるのは大切だけど、それ以上にやりたいことがたくさんあるので。

中越地震を機に食の重要性を再認識したことから生まれた、多様なニーズに応えるお米作り。その先に生まれた地域復興や車いすラグビー支援など、人との絆により新たな価値を創造して来られた豊永さんの軌跡は、まさに出会いとアイデアとそれを実現するパワーの三位一体の物語でした。

次回は日本米の海外での需要と米文化発展の可能性、豊永さんが海外展開にかける想いについて詳しく伺っていきます。

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